どこかに吹く風

山ん中の笑えない毎日

田舎暮らし始めたものの・・・。「あんなことこんなこと、笑って吹き飛ばそっ。」と始めたブログですがもう笑う気力もございません。

青春、友だち、親離れ。

台風が近づいているとかで、雨続き。

天気と同じく、心身ともにスッキリしない毎日です。

そんな中、衆院選はキッパリ、期日前投票してきましたよ。

なんかね、最寄りの投票所、イヤなんだもん。

近所のコッワイ顔したジジイ オジサマたちが、ジッと見張ってるから(;´Д`)

 

高校や大学では、文化祭・学園祭のシーズンですよね。

ウチの息子も、はじめての文化祭の準備に張り切って・・・。

と、思っていたところ、久しぶりに息子に電話をしてみると、なんだか冴えない声。

風邪でもひいた? いやいや、泣き声になってるじゃん。

どうしたのか訊ねてみましたら・・・。

 

「俺のことを考えて、いろいろアドバイスしたり、叱ってくれたりする友だちの気持ちに、ぜんぜん応えられてない。」

「そんな自分が情けないんだ。」

 

・・・って、なにかのセリフみたいな言葉が飛び出してきたーーっ(´∀`;)

 

どうやら、文化祭にやってみたいことがあり、自分で企画してはみたものの、準備がうまく進んでないらしい。

そりゃ、そうよ。

だって、息子、計画性ゼロだしねぇ・・・。

企画まではできても、実行力も、ちょっとね・・・。

いろいろと、ね、たいへんだろうよ。

 

でも。 よかったね。 (*^^*)。

中学校時代、新しい土地で不登校になった息子。

「“ぼっち”だって、いいじゃんか!」なんて、強がり言ってたりもしたけど、

「友だちがほしい。」って切実な気持ちを話してくれたとき、私も淋しくて切ない想いでいっぱいだったから。

 

今、一緒に付き合って協力してくれてる同級生クンは、息子にこんなことを言ったらしい。

 

「おまえがサ、困ったことや悩みがあるとき、俺より先に親にメールや電話するの。なんだかいやなんだよ。」

「もう高校生なんだぜ。すぐに親を頼りにするの、やめようよ。」

「近くにいる俺に、なんで言ってくれないの。」

「俺が信頼されてないんじゃないかって、正直ムカつくんだよ。」

 

こんなこと言われて、息子、泣けちゃったんだよね~。

うん、うん。

カアサンも、ウルっときたよぉ(´;ω;`)

 

ガンバれ。息子 。

親元離れて約半年。

便りが無いのは元気な証拠。

親の私たちはもう、細かいことアレコレと口出ししないよ。

いっぱい悩んで、いっぱい失敗もして、なんでも自分でやってみろ~~♪♪

私は、遠くからいつも見てるからさヽ(^o^)丿 

目に入れても痛くない?

昨日、この辺りでは最後の稲刈りが行われていました。

お昼過ぎから、コンバインで、ガーーー!ガーーー!と。

夕方には広い田んぼ全て刈り取られて終了。

 

ちなみに、私、あれが“コンバイン”なる農機だとは最近まで知らなかったんだよね・・・。

先月、スーパーで近所の人に行き会って。

 

ご近所「HARUさんちは、稲刈り、もう終わったの?」

私  「・・・。さぁ・・・。」

ご近所「???」

   「HARUさんちも、コンバインでやるの?」

私  「・・・。あのぅ。コンバインって何ですか?」

ご近所「(絶句)・・・。」

 

こんなやりとりがあって、初めて夫にコンバインが何なのか教えてもらいました。

ウチはコンバイン所有してないって。(高くて買えないのか?)

 

稲刈りや、畑の収穫期なんかは、家族みんなで手伝うのが当たり前なんだよね。

私は、農作業一切ノータッチ! 鬼嫁な農家の嫁( ˘•ω•˘ )

奇異な眼で見られても仕方なし。

 

鬼嫁自慢はさておき、農作業やらない私ですが、稲刈りが終わった後の、あの何とも言えない香り、たまらなく好きです。

やたらと香ばしい草のにおい、っていうのかな。

おもいっきり、そこらあたりの空気全部を吸い込みたくなるくらい。

 

で、昨日の夕方、助さんとお散歩中、稲刈り直後の田んぼの脇で、しばし立ち止まり、大きく深呼吸~~~\(~o~)/

鼻ん中にヘンな虫が飛び込んできて一緒に吸い込み、最悪の帰り道・・・。

こんなくらいのアクシデントは、日常茶飯事でぃ(^_-)-☆

 

鼻じゃなくて、『目に入れても痛くない』という言葉があります。

今の私が、いっちばんカワイクてメロメロなのは、もちろんネコのマル(♀)。

(ゴメンね。助さん。)

もうね、気が狂いそうになるくらい、可愛いくてしかたがないのっ。

ふわっふわなマルなので、いつも部屋中マルの毛だらけ。

夜寝ている間に、マルの毛がヒョロ~ンと目の中に入り込んでしまっていて、痛くて目が覚める。

逆さまつ毛もあるもんだから、いつも朝から涙流してます。

 

どんなに可愛くても、やっぱり目に入れば痛いわ。

『故事ことわざ辞典』で「目に入れても痛くない」を調べてみましたら、

解説の【注意】欄に笑ってしまった。

『「目に入れても痛くない」は例えであり、実際に子や孫を目に入れたら痛いので注意が必要。

それ以前に、おそらく子や孫を目の中に入れることは不可能と思われる。』

 

↑ こんな注意書き、必要?!‶‶(≧▽≦)‴‴

 

他人様の悩み、自分の悩み。

Twitterを始めてから、3か月くらい。

スマホを覗く回数・時間が増えてしまい、眼の疲労感がマズいことになってきてる。

肩こりや頭痛にもよくないから、あんまり見ないようにしよう。

 

子育て、家族のこと、恋愛のこと、いろんな悩みや愚痴が目に飛び込んでくる。

子どもの不登校、いじめ問題。

自分の親(毒親)のこと、嫁・姑問題。

 

あぁ、私だけじゃないんだぁ、と思うと同時に、でもやっぱり、私とは違うんだ、な。

苦しいこと、悩んでることがあると、誰かにわかってもらいたい、誰かに共感してもらいたい、っていう欲求が出てきたりする。

長い間、私は自分の辛くて苦しい気持ちとか、理解してもらいたいと強く思っていた。ずっとずっと。

特に、一番身近な存在のひとたちには。

 

でも、理解してほしい気持ちが強ければ強いほど、苦しい気持ちが薄まらないっていうことに、だんだん気がついてきて。

わかってほしい、という期待を持たないようにしてからは、少し気持ちが楽になった面もある。

 

Twitter、140文字の中にある、知らない人たちの悩みとか、それだけでなく、楽しそうなこととか、なんとなく眺めていると、自分の中に抱えてる様々なことが、より客観的に見えてくる気がします。

 

過去の辛い記憶も心の傷も、すべて消えて無くなることはないけれど、俯瞰して見る、という作業は、心を楽にしてくれる方法の一つなのかもしれません。

 

なんてね。今日は、なんだかツラツラと書いてしまったよ(*^^*)

ほんとに眼精疲労がヤバいので、今日はもうPCもスマホも見ないぞ!!

 

躊躇い、が無い。

2週間くらい前から、なんだか考える事が多すぎて、頭ん中がパンパン状態。

ブログ書く気力もなく、そうかといって、諸々の問題は何一つ解決しないまんま・・・。

 

こういう時って、日常のちょっとした言葉をしばしば誤変換してしまったりして、人に話すほどのことではないけれど、自分の中でクスクス笑ってしまうことが多いんです。

 

例えば・・・。

先週、ウチの息子が試験休みか何かで数日間、自宅に戻ってきてまして。

近所の人に、「息子さん、帰省中?」なんて訊かれると、これは→「息子さん、寄生虫?」としか入ってこない。

 

あとは、『それいゆ』っていう昔ながらの喫茶店みたいなお店の看板は、『それゆけ』にしか見えない。

 

なんていうふうに、私の頭ん中の誤変換は、ベタで昭和な感じのものばかり。

 

そんな時、またまた、息子もやってくれましたよ。

その“帰省中”のある夜、なにやらテレビの歌番組を観ていまして。

(ンっとに、今どき珍しすぎるくらいのテレビっ子なんだよね・・・( ˘•ω•˘ )。)

たしか、『歌のゴールデンヒット』(TBS)だったかな。昭和から平成までのヒット曲が次々に紹介される、というような内容だったと思う。

 

息子「カアサ~~ン!」

  と、台所にいる私を呼ぶ。

息子「昔の歌で、『こんぶ』って、知ってる?」

私 「え~?『こんぶ』??」

  「誰の歌?」

息子「わかんないけど。」

  「・・・あーー、裏の民宿のオヤジさんみたいな人!!」

 

?????仕方がないから、テレビのところまで確認にいきましたよ。

・・・・やっぱしね。

 

昆布』じゃなくて、『』だよ。

民宿のオヤジじゃなくて、谷村新司だよ。

 

『昴』が読めなくても怒らないからさ。

絶対的に『こんぶ』とは読まない、ということぐらい、気づいてくださいよ。

ちょっとは、「アレ?なんて読むんだ?」って、口に出す前に躊躇ってくださいよ。

 

息子。なんてゆーか、頭に浮かんだこと、心で思っちゃったこと、バカみたいに 正直にそのまんま発信しちゃうんだよねぇ。

危ない危ない。

 

でも、まぁ、発言や行動に躊躇いがないときっていうのは、多少の困難があっても、それなりにどうにかやっていけてる。バロメーターみたいなもの。

ちょっとオマヌケな発言も、心身ともに元気な証拠! と諦めてます(^^;)。

 

思えば、中学時代、不登校でたいへんだった時期は、躊躇うとか、なんとかいう以前に、全く身動きとれなかったんだもんねぇ。

あの頃は、ほ~んの些細なことですら、頭を抱えて悩みに悩んでたからねぇ。本人が。

 

とはいったって、のんきにペラっと『こんぶ』と言って笑ってる息子には、ピシッと喝を入れときました。

おバカ発言も、たいがいにしとけよーーー!!(-_-メ)

音痴で不登校っ?

息子が不登校になり、そこから中学校卒業まで、それはそれはタイヘンな思いをしましたが、今となっては笑えることもあったりして。

・・・あ。やっぱり、笑えない(=_=) ムカつくことがてんこ盛りっ!!

 

とはいえ、イヤだったことも笑い飛ばせれば儲けもん!!の精神を大事にしてますので(*^。^*)

そうそう、本日最終回を迎えた『ひよっこ』の中でも、こんなセリフがありました。

『悲しいことは自分の手で無しにするしかない。』(鈴子さん)

みね子の『お父ちゃんに起きた悲しいことを無しにしたい。』という言葉を受けてのセリフでした。

(↑たぶん、第137回放送分)

 

てことで、息子が不登校に突入するキッカケとなったいろんなことの中で、外せないのが『ザ・音痴事件』です。

 

ある日、息子がCDを持って帰ってきました。

CDには、A4用紙にえんぴつ書きのメモが添えられていて。

音楽の教員からでした。

この時の息子、「俺、音痴だって、バカにされた。」と顔を真っ赤にしてましたっけ。

 

 『〇〇くんのお母さんへ

  合唱練習で〇〇くんだけ、ぜんぜん音程がとれてません。

  このCDに合唱曲が入ってますから、

  お家でお父さんとお母さんが一緒に歌ってあげて、

  音程をとれる特訓をしてきてください。』

 

はーーーーー???

ちょっとちょっと、待ってくださいよ、セ・ン・セ・イーーーー!

これってさ、「お父さんとお母さんは、この合唱曲を上手にちゃんと歌える」ってことが前提でしょ?

しかも、生まれてこのかた四十数年、見たことも聴いたこともない、この合唱曲をお父さんお母さんもCD聴いて覚えて歌えということなんでしょ?

 

無理だーーーー!無理すぎるーーー!!

 

音楽のセンセイに電話でご勘弁願おうと試みましたが、案の定、頭カッチカチでこちらの話には聞く耳なし状態。で、翌日学校まで出向いて挨拶がてらお話ししてきました。

 

私「いつもお世話になっております。

  この度は、丁寧なご指導をいただきまして、どうもありがとうございます。

  センセイからのご助言、たいへんありがたいのですが、誠に申し訳ありません。

  私ども夫婦揃って、想像を絶するほどの音痴でございまして。

  それ故、お手本になるような歌唱力は1ミリも持ち合わせておりません。

  どうか、授業の中で、引き続きのご指導をよろしくお願いいたします。」

(深々とおじぎ<(_ _)>)

(あくまで平身低頭に。)

(ただし、心の中では、グーでパンチっ!)

 

教員「そんなそんな。ご謙遜を。

   だって、お父さんもお母さんも、学校、出てますよね?」

 

はーーーーー?

学校出てたら、音痴じゃないんですかーーーー?

私も夫も、小・中まで音楽の授業、この上なく屈辱的なものだったのですぞーーーー!

 

このセンセイ、ガッコウの音楽を習えば、みんな漏れなく音痴ではなくなる、とでもお考えかっ?

もう、このセンセイに何を言ってもムダ。

 

私 「息子の音痴が皆さんの合唱のお邪魔になるようでしたら、

   もうこれは是非『くちパク』で、お願いします。」

  (ニッコリ笑顔で。)

 

※これらのやりとり、3年前の出来事をできる限り忠実に再現していますが、くれぐれも、私はモンスターペアレントではありませんから。ほんとに!!(^^)!

 

ちなみに、我が家の歌唱力はどんな感じかっていうと。

息子→ものすごーく気持ちよさげに歌うジャイアン

私 →バナナの皮ですべった時の声みたいな歌声

夫 →建てつけの悪い窓から入るスキマ風みたいで何歌ってるかわかんない

 

以上、音痴自慢でした(^_-)-☆

アイム・アン・エイリアン

先週末は、『ひとり社会科見学』と称して、東京方面へ泊りで出掛けてきました。

宿泊先は、かつて10年弱住んでいたことのある横浜市内の某所。

 

十数年も経てば、駅前のお店などもずいぶん様変わりしていて、懐かしさの反面、当時の記憶というものが曖昧になってしまっていることに、少し寂しい気持ちにもなりました。

 

そして、私はたいへんな方向音痴。

初日にまず大きな荷物だけホテルに預けるべく、最寄り駅に降り立ちましたが、改札を出た瞬間から、ウロウロ、キョロキョロ、“おのぼりオバサン”炸裂。

ホテルは駅から徒歩5分。すぐに見つかるはずが、出だしから間違いだらけ。

都会というところは、ホテル以外にも高いビルがひしめいていますから、ちょっと見渡しただけでは発見することができない(*_*;

 

地図が読めない私の頼りはスマホの道案内アプリ。

音声案内に従って、颯爽と歩きはじめたものの、次第にその足取りは緩やかになり・・・。

ハイ、やっぱり迷子、じゃなくて、迷いオバサンになりました(@_@)

ナビの音声は「目的地付近です。」と冷ややかに告げていますが、グルリと360度見回しても、ホテルなんてない。どこにもない。

 

仕方がないので最後の手段。手っ取り早くアナログ方式で。

近くの工事現場で道路の交通整理にあたっているオジサンに訊ねました。

「すみません。〇〇ホテルはどこか教えていただけますか?」

「〇〇ホテル? あー、それなら、ここだよ、ココ!」

と、オジサンが指さすのは、私が立ってる目の前のビルじゃんっ。

正面玄関とは反対の裏通りに到着していたため、まったく気づくことができなかったのです。

 

もう、ナビなんか頼りにできません。

 

荷物を預け、都内某所での用事を済ませ、夜遅くホテルに戻る際にも、しっかり道に迷いました。

都会というところは、日中の景色と、夜、ネオンが点いてからのそれでは、全く違う場所に来たかのようになるんです。(←田舎者の言い訳)

この時は、コンビニの店員さんに助けてもらえました。

 

10年近くも暮らした土地。でも、今の私は浦島太郎。

 

2日目は、ひとりで横浜をブラブラするつもりでしたが、ちょうど都内に仕事で来ている友人と連絡がついたため、急遽予定変更。

新宿で彼女とランチをすることに。

 

新宿の人の多さに圧倒され、すぐに人酔いしてしまう田舎者なワタシ。

若い頃は、新宿にもよく出掛けましたし、当時も新宿の人混みはすごかったけど、こんなだったっけ?

最近は、観光客の人たちの数がものすごいんだなぁ。

あぁ、私だって観光客みたいなもんだよなぁ。

 

新宿駅ホームのKIOSKでは、40代とおぼしき男性が、まだ昼間の3時だというのに、缶チューハイを飲みながら、赤い顔して真剣に仕事の愚痴を売店のオバチャンに語ってる。

以前だったら、「昼間っから、なにやってんだかっ。」くらいにしか思えないような、こんな光景すら、「田舎では決して目にすることのできない、人間味あふれる日常のひとコマ」に映ってしまったりして(*^。^*)

 

行き帰り、在来線も新幹線もたいへんな混雑で、人混みにもまれながら、なんだか自分はいつもどこにいってもエイリアンだな・・・ってしんみり。

スティングの『イングリッシュマン・イン・ニューヨーク』が頭ん中に流れます。

 

帰宅後、夫に話してみました。

「なんかさぁ、都会に行っても、こっち(田舎)に居ても、どこ行っても自分がエイリアン、よそ者、って感じがしてさ・・・。」

それに対して夫。

「そんなことないよ。HARUは、エイリアンっていうよりも、珍獣とか猛獣とか、そっち系だと思うよ。」

 

・・・武井壮と闘いますかっ(*''▽'')/

良妻賢母を手に入れる方法(非推奨)

『良妻賢母』なんて言葉は、もはや死語みたいなものでしょう。

ま、男女平等とか女性蔑視とか、そういう考えからすれば、ヒンシュク買ってしまうこと間違いなしの言葉なんでしょうからね。

 

私は、自分で言うのもなんですが(って、いつも言ってるけど)、悪妻・ダメ母・鬼嫁です。

もうこれは、家族だけでなく親類縁者全員が認めてくれています。

(こう断言できすぎるのも、悲しいが・・・。)

 

そして、『三つ子の魂百まで』という諺。

恥ずかしながら、私は割と最近まで、この諺の意味を勘違いしていました。

「3歳までに習得したことは一生忘れない」

というようなことだと思っていたのですが、

「幼い頃の性格は歳をとっても変わらない」

ってことなんですね。

 

いずれにしても、まさにこれよこれ! と思い出すエピソードがありまして。

息子が2歳半くらいのとき。幼稚園にあがる少し前でした。

息子はちっちゃい頃から、かなりのおしゃべり君で、この頃すでに、ペチャクチャよくお喋りする子だったんです。

 

とある休日。私ひとりで出かける用事があり、夫と息子が初めて父子2人でお留守番をすることになりました。

育児に慣れない夫に子どもを預けるという初めての経験に、若干、いえいえ、かなりあたふたしていた私。

お昼ご飯、おやつ、お着換えなどの準備をした後、自分の身支度を整え終わった頃には、出掛ける前にお疲れモードになってしまい・・・。

イライラして、夫にプチ八つ当たりしちゃったんですね。

 

そんな私を見ている息子が、不安げな表情をしていることに気がつき、「ハッ!!しまった!!」と気を取り直しました。

で、息子と夫にすぐに謝ったんです。

特に息子には、優しく丁寧な口調で。(言ったつもり。)

 

私「ごめんね。〇〇ちゃん(息子)。びっくりさせちゃったね。」

  みたいな、言い訳がましい謝罪のことばを述べ、

 「ママ、夕方には帰ってくるからね。」

 

そしたら、息子。ニコニコ笑って、こう言いました。

息子「うん! 帰ってこなくても、ダイジョウブだよ!」

私「え? 〇〇ちゃん、お留守番が平気なんて、スゴイね。」

 

息子「うん。ママがいなくても、いいの。」

  「そしたらね、あたらしいママ、デパートいってパパにかってもらうから!」

 

その時の、息子のきらきらと輝く瞳。嬉しそうな笑顔。ったら。

 

息子「ねっ? パパ。そうしようよ!」

  「パパも、もっといいママ、ほしいでしょ?」

 

引きつった笑顔の夫。笑うなよ。

オイ、なんとか言えよ。

フォローってもんが、できないのかっ。

 

夫「〇〇(息子)。デパートでママというものは売ってないんだ。」

ふむふむ。

夫「お店では、ママだけでなく人は売ってないんだ。」

んー・・・。

夫「そもそも、人というものを売ったり買ったりしてはいけなくて、それは人身売買といって、絶対にやってはいけないことなんだ。」

 

・・・2歳半に向けた説明かっ?!

 

納得いかないまま、時間切れとなった私は、複雑な心境で家を後にしました。

夕方、帰ってみると、楽しそうに2人で過ごしていたようで、「ただいま~」とドアを開けた私に、開口一番、

「あ、ママだ。もう、ボク、ママいなくてもダイジョウブなのに。」

だって。

 

あれから、14年。

反抗期あり、不登校あり、紆余曲折のわが家の子育てではありますが、離れて暮らすようになってからも、ホームシックになることもなく、マイペースで寮生活を満喫してるようです。

・・・とはいったってね、いまだになんだかんだと、トラブル発生すれば、飛んでくんだからね、カアサンは。わかってんのかな?

 

良き妻、良き母、なんつーもんは、簡単には手に入らないし、この世に存在しない幻想なのかも。ということは、わかりすぎるくらいわかってるみたいだけどね。

ごめんね。良妻賢母は手に入れるもんじゃありませんよ。

あとは自分で考えろ~(^◇^)