『諦めの悪いひと』らしい・・・
夫に言わせると、私は“諦めの悪い人間”らしい。
口下手で、そのうえ理屈っぽい夫は、たびたびヘンテコなことを言っては、相手を怒らせてしまう。
本人にその自覚はない。
「はるは、諦めが悪いんだよね。粘着質っていうか、しつこいんだよ。」
なんて言われ方されて、喜ぶ人っています??
コレを言われた時、激・怒りましたよ。
「なにそれ?! それじゃ、私、まるで“ストーカー”みたいじゃない?!」
って。
しばらく会話は噛み合いませんでしたが、夫が言いたかったのはこういうことでした。
「はるが、諦めず腐らず、粘り強く中学校に対して交渉を続け、協力をお願いしてきてくれたお陰で、息子が自分に合った居場所を見つけ、今がんばることができている。(ありがとう。)」
(→『ありがとう』が()つきなのは、ちゃんと言われた自信がない。空耳だったかも・・・。)
あ、なんだ。どちらかといえば、お褒めの言葉だったのね。
ですが、夫のその言葉にピンとくるものは無く、嬉しいというよりは驚きでした。
私の人生は諦めの連続。ダメダメな人生。
失われ、奪われ、そして諦める。の繰り返しだった。
なーーんて、かなり卑屈で自己肯定感なんてゼロ。というよりマイナスな自分でしたからね。
そんな私でも、子どものこととなれば話は別のようです。
ここが、『諦めの悪いひと』ってとこに繋がるのかな?
特に息子が不登校になってからは、エンジン全開でガンガンやっちゃいましたよ~。
(※くれぐれも申し上げますが、“モンスターペアレント”ではありません。ココ重要!)
子どもが大変な状況に置かれてるときに、卑屈になってる場合じゃぁない。
しかも相手が学校じゃ。しっかり信念もって、冷静に理路整然と事を運ばなきゃぁなりませんゼ。(って、人格、変わっちゃってるヨ。)
そうなる前から(登校拒否状態になる前から)、中学校には相談・お願いという形で息子の学校生活が少しでも改善されるよう、話をしていました。
平身低頭に。でも言うべきことは、ハッキリ、キッパリと。です。
しかし、どこにいっても人間関係って、わかってもらいたい人に、こちらの思いが通じるとは限らない。
息子の学校の先生方が揃いも揃って、頭カッチカチ~、聞く耳なんてありませ~ん、っていう絶望的な環境だったことは、かなりネックになっていましたが。
中学入学当初から、担任等から適切とは言えない(はっきりいって不適切な)扱いや発言を受け、また同級生たちからも、悪い意味での“転校生あるある”的な扱いを受け。
ある程度の困難は入学前から想定していましたが、ふたを開けてみると、想像以上に酷かった(-_-;)
(※中学入学と同時に、遠方から田舎(ココ)に転居しております。)
悔しい思い。やりきれない思い。たーーーっくさん、しました。
もう今すぐココから逃げ出したい!! と何度も真剣に考えました。(実際、逃げ出しかけたこともアリ。)
諦めるとか諦めないとかじゃなく、ただひたすら、目の前に立ちはだかる問題をひとつひとつクリアしていかなきゃ、と、孤軍奮闘した中学校3年間。
『対峙』するでも『対立』するでもなく。
子どもが不登校になったとき、親はこうするべき、とか、親はこんなことをしてはいけない、とか、いろんな考え方やご意見はありますが、子どもが百人百通りなら、親も百人百通り。
私がやってきたことは、おそらく一般的な考え方からすると、『よいこは、決してマネをしないでね。』ってレベルかもしれません(笑)
ただし、先ほども申しましたが、絶対に私、“モンペ”ではありませんからっ(^^;)(←ココ、もいちど強調しときます!)
わが家の子育ては、現在進行形。
高校生となった息子。今の学校は好きだし毎日楽しい、と、本人は言っております。
それでも、義務教育だったこれまでとは違った、新たなる問題も続出中~~。
しっかりしておくれよ、そこの16歳!! 喝っ!!
まだまだ、諦めの悪いカアサンで、ガンバリますゼ!(^^)v