どこかに吹く風

山ん中の笑えない毎日

田舎暮らし始めたものの・・・。「あんなことこんなこと、笑って吹き飛ばそっ。」と始めたブログですがもう笑う気力もございません。

モテる女とモテない女の違い~遠い昔ばなし~

こんにちは。“はる”です。

 

最近、はまってるもののひとつが、コンビニのおいなりさん風おにぎり。いや、おにぎり風おいなり、なのかな。

コンビニに寄ると必ずひとつ買って帰ります。

昨日のお昼にも食べました。おいしくて大好き(^^)

 

ところで、私、おいなりさん食べる度に思い出してしまう、モテない女ならではの、昔の苦々しいエピソードがありまして・・・。

 

私が大学1年のとき。同級生Aちゃんの誘いで渋々参加したサークル活動でのこと。

学生野球の“SK戦”をみんなで応援にいく、という恒例行事があり、その観戦時に食すお弁当を女子が作って持っていく、という慣わしになってました。

(今どきじゃ、そんなことする学生さんは、いないんでしょうけどね・・・。)

 

だーいたい、なんで女子が男子の分までお弁当作ってかなきゃならんの?!

買い飯でいいでしょ。買って持ってこうよ!

私、いやだよ、めんどくさい。行かないよ。

 

速攻、断った私でしたが、

「入学して、まだ仲のいい子もいないし、ひとりじゃ不安なの。はるちゃん、お願いだから一緒に行って。」

というAちゃんに負けて、仕方なく参加することにしてしまったのが、いけなかった・・・。

 

Aちゃんは、美人さんではないけれど、小柄で華奢で、話す声も小鳥のさえずりのような、かわいらしい、いかにも守ってあげたい、っていうタイプの子。

 

一方、この私。ラガーマンと見まごうばかりの、立派な肩幅。どっしりと重量感もあり、誰からも守ってもらう必要を感じさせないタイプ。しゃべる声も、ガサガサ系。

だから、Aちゃんと一緒にいると、まるで私は屈強なボディーガード、みたいな。

 

さて、そのお弁当。女子たちの中で、「主食係」と「おかず係」に分担して作っていくことになっていた。

私は、主食係のほうで、自分がおにぎり嫌いなもんだから、どうせ作るならと、おいなりさんを作ることに決定。

 

SK戦の数日前に、Aちゃんから「はるちゃん、おにぎりでしょ?」と訊かれ、「おにぎり嫌いだから、おいなりさんだよ。」って話してた。

そしたら・・・、前夜、Aちゃんから電話があって。

 

Aちゃん「はるちゃん、ごめんね・・・。私もやっぱり、いなり寿司にしちゃったの。怒らないでね。

それで、悪いけど、はるちゃん、おにぎりに変更してくれない?」

 

(なんで、私がそんなことで、怒るねん?!!)

(おにぎりでも、おいなりでも、どっちでもエエじゃん!)

はる  「別に謝ることじゃぁ。でも、もう、おいなりさんの準備しちゃったから、変更は無理。」

と答えた。

その時すでに、酢飯にまぜる具材と、おいなりさんの皮にする油揚げを、それぞれ煮て冷ますところまで、作業が終了してたので。

 

Aちゃん「え?準備って。もう作ってるの?はるちゃん、なんだかんだ、けっこう気合い入ってるんだね。お気に入りの先輩とか、いるの?だれ?」

 

(いねーーよ!!)

はる  「ちがうよ、ちがう。だって、おいなりさんの具とか皮、煮とかないと。・・・Aちゃんは?」

Aちゃん「え~? はるちゃん、すごいぃぃ。やっぱり、気合い入れて作ってるのね。」

    「私は、お母さんが、す〇太郎といなりあげ、買ってきてくれたから。明日の朝、詰めるだけよ~。」

 

ショック・・・! 私は知らなかったのです。

あのTVCMで、有名な演歌歌手が楽しそうに「ち~らし~ずしぃ、な~ら~・・・」と歌ってる、す〇太郎を白飯にまぜるだけで、おいなりさんの中身ができることを。

そして、もう味が付いてて開いて包むだけの、市販のいなりあげ、ってのがスーパーで売っていることを。

 

結局、Aちゃんは、ごはんを炊くのも、す〇太郎をまぜるのも、ほぼすべての工程を母親が済ませてくれて、ほんとに、お揚げを開いて包むだけ、の作業で、お弁当を見事に作り上げました。

 

私の母は、手伝ってくれるどころか、私が台所に立つことすら、嫌悪感丸出しでしたから。しかも、今みたいにPCもスマホも無い時代。クッ〇パッ〇とかでレシピを調べることなどできません。

忘れてしまったけど、家にあった母の料理本かなにかで、こっそり調べたような。

とにかく、ひとりで作りました。食いしん坊ですから。

 

SK戦当日。浮かれる男女が観客席に座ります。

もうこの時点で、“お見合い”感たっぷりなイヤ~な感じ。↓

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男子挟んで私の両隣に、そのAちゃん、他の女子Bちゃんが座ります。

このBちゃんは、Aちゃんとは違うタイプの、非常に大人っぽい美人さんでした。

 

いよいよ、お弁当タイム~!

女子たち、一斉に、持参したお弁当箱を開きます。

もちろん、「あんまり、上手にできなかったんですけどぉ。」など、謙遜気味の言葉も忘れずに。

(私は、そういう言葉すら持ち合わせていませんでした。)

さぁ、オープン!!

 

男子たちは、嬉しそうに女子の膝の上のお弁当をのぞき込み、「おいしそうだね。」とか、チヤホヤはじまり・・・。

しかーーーしっ! 私の両隣の男2人(C男とD男)は、私のお弁当を見て・・・。

 

「・・・なんか・・・。はるちゃんの、お弁当って。

 ・・・茶色だね。

 

おいなりさんが茶色じゃ、いけないんですかぁぁぁーーーー?

これ、何に見えますねんっっっ???

しかもね、その隣にいる、Aちゃん・Bちゃんのお弁当と見比べたってさ・・・。↓↓↓

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どれもみんな、茶色いですけどぉぉぉぉぉっ?????

 

叫びたい気持ちを抑えつつ、もうその後は、私、仏像状態でした。

聴こえてきます。隣で楽しそうにお弁当を食べるC男とAちゃんの会話が。

C男  「すごいね。これ、ぜんぶAちゃんが作ったの?」

Aちゃん「はい。でもぉ、ぜんぜん、すごくなんか・・・。夕べのうちに、具とかお揚げとか、煮ておいたから。朝は詰めてきただけなんですぅ。」

C男  「へぇ。Aちゃんって、すごい家庭的なんだね!!」

 

はいはいはいはい!!  もうお気づきかと思いますが、この会話↑のAちゃんのセリフの中で、事実と整合性があるのは『朝は詰めてきただけ』ってとこだけですね。

それよりなにより、この『家庭的なんだね』って、喜ぶ言葉。なんなんだ?

 

もういい。仏像状態で私はひとり黙々と自分のおいなりさんを食べました。

 

しばらくすると、各々隣のAちゃん・Bちゃんと、ひとしきり楽しい会話を終えたC男とD男が、「お、忘れてた。」とばかりに、

「あ、それじゃぁ、せっかくだから、はるちゃんのもひとつ、もらおっかぁ。」

と、私の方に向いてきましたよ。仕方なさそーーに、ね。

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私は、笑って言いました。

「もーー、ひとっつも残ってませーーん♪♪」

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C男D男「はるちゃん。さすが、すごい食欲だね・・・。はは・・・。」

乾いた笑い。

 

お腹いっぱいになり、眠くなった私は、盛り上がる他の男女の群れから抜けて、ひとり「お先にぃ!」と、神宮球場をあとにし、自宅に帰って昼寝しました。

 

そしてサークルを辞めた私。

Aちゃんは、同じサークル内で、C男でもD男でもない、別の彼氏をGETしましたとさ。

めでたし、めでたし。

 

最近のひとは、あまり知らないかもしれない、あの文言。

『空があんなに青いのも

 電信柱が高いのも

 郵便ポストが赤いのも

 みんな私のせいなのよ』

 

そして、ザ・モテない女の私が付け足すのは、

「おいなりさんが茶色いのも、

 どうせ私のせいなのね( ;∀;)」

 

~昔ばなし、おしまい~

新聞〇、ラジオ〇、LINE×。でママ友ゼロです。

こんにちは。“はる”です。

 

今日は、新聞休刊日。なんとなく物足りない朝でした。

若い頃はあまり読むことのなかった新聞ですが、

子どもが生まれてからは、新聞に目を通すのが朝の日課となりました。

 

政治・経済や国際情勢等々に詳しいわけでもなく、ただサァっと見るだけですが、新聞をバサバサ開いて、コーヒーを飲むのが、一日のスタートに大事な朝の習慣になっています。

 

たまに、じっくり記事を読もうとするときに限って、ニャンコが新聞の上、しかも読んでるところにドッシリ乗っかってくる。読めない。見えない。ニャンコは動かない。

こんなことも、アホみたいだけど、ひとりでニンマリ嬉しかったりして。

 

息子が小学生の頃までは、家族が起きる前の早朝にそれをやっていました。

毎朝4時起床。 その地域の新聞屋さん、すごく早く配達してくれていて感謝でした。

 

そんな私の習慣を、何気ない会話の中で、当時の“ママ友”らに話したら、その場にいた全員(おそらく4~5人)に、ドン引きされました。

早朝4時起床という点よりも、むしろ「新聞を毎日読んでる」というところ。そこに反発というか、批判というか、なんだかわからないけれど、なんだかんだと言われてしまった。

 

彼女たちのどの家庭も新聞を定期購読していないということで、みんな口を揃えて、「ニュースなんかTVかネットで見ればいい。」と言ってました。

それ以外の“ママ友”も、私の知ってる人の中では、新聞をとっている人って、一人もいなかったなぁ。

古新聞がジャマだし、処分するのも面倒くさい、というような理由を挙げている人もいたような。

 

「新聞毎日読むなんて。今どきバッカじゃないのぉ?」

って、大笑いしやがる奴ら 高らかに嘲笑するご婦人方もいたよなぁ。

 

その後、同じようなメンバーで、我が家に集まってランチをした際には、キッチンに置いてある私お気に入りのラジオを発見され、それも笑われたっけ。

 

家にひとりでいるときは、一日中ラジオをつけて過ごしていて。

TVも見るけれど、TVつけちゃうと何にもできなくなっちゃうし。(ま、ラジオだからって、テキパキできてるわけじゃぁないけれど。)

ってことを話したら、これまた思いっきりバカにされてしまった。

 

どうも、彼女たちからしてみると、「ラジオ=オタク」のイメージだったらしい。

新聞を毎朝欠かさず読む。ってのも、恐らく彼女たちにしてみれば、充分に「オタク」というカテゴリーに入っていたんだと思う。

 

っていうか、だいたい、新聞・ラジオに関してもそうだけど、結局のところ、「オタク」の何が悪いのよっ?! と声を大にして言いたい。言いたかったが、その時その場で言えなかった自分が悔しい。

 

それから、何年か経つと、みんながスマホを持つ時代が到来し、ママ友同士はメールではなく、LINEでつながるようになり。

ひとりガラケーの私は、お陰でママ友グループとのお付き合い、フェードアウトというよりは、ブッツリ切ることができました。

 

って、まるで「ママ友ゼロ」の理由を、新聞とラジオとLINEのせいにしているようですが、もちろんわかってます。

それ以前に、私自身が、ママ友の輪に入れない人種だったってこと。

 

ちなみに、スマホを使うようになった現在も、LINEはやっておりません。

というよりも、できませんでした。

一度、友人に強く勧められて始めてはみたものの、3週間でやめちゃいました。

なんか、私、あのLINEの画面が苦手で・・・。

なんだろ・・・距離が近すぎる感じが私にはしてしまう、っていうのかなぁ。

 

何をやるのもスローペースな私には、従来のメールのほうが、なんとなく安心感。

それにLINEやってなくても、困ることは今のところないし。

あ、友だち自体、少ないってこともあるか(^^;)

でも、少ない友だちと、ゆる~く繋がってるくらいが、ちょうどいい感じなのかもね♪♪♪

 

 

 

 

 

あぁ、三連休。最終日か・・・。

こんにちは。“はる”です。

 

世の中の多くの人々は、本日が三連休の最終日なのでしょうか。

わが家では、あいかわらず、メリハリのない毎日が続いております。

 

田舎暮らしを始めてから、脱サラした夫は、一体なにを生業としていることやら、わけわからん・・・。で、土日も休日もあったものじゃありません。

夫本人は、すっかり曜日の感覚すら失いつつあるような、そんな状態。

 

私はというと、息子が家に居た頃は、不登校時期があったとはいえ、“中学生の母親”として、日々いろいろとやっておりましたので、曜日の感覚がなくなるなんてことは、まぁあり得ないことで。

 

息子が寮生活で自宅に不在の今だって、いくら鬼嫁の私でも一応“主婦”していますから、「〇曜日と〇曜日が燃えるゴミの日」とか、「〇曜日は生協の日」とか、「〇曜日はポイント2倍だから、お買い物の日」とか。

そんなふうに、曜日の感覚は保たれているわけですね。

 

連休とか長期休暇の時期などは、家の近辺も観光客らしき人たちが増えますので、

「あぁ、みなさん、お休みなのね。レジャーをお楽しみで、結構なことですわねぇ。」

と、休日の恩恵など自分には何もないけれど、平日との違いを、ひとり寂しく家の中でかみしめています。

 

家の周りは、ビローンとだだっ広い、“自然豊か”といえば聞こえは良いけれど、毎日見てれば、果てしなく何もない、ただのつまらない殺風景なところで、自然がいっぱいでも、心は何ひとつ満たされない、侘しいオバチャン、ここにあり、です。

 

そんな立地条件に加えて、空気が澄んでいるせいもあってか、いろいろな音がやたらと響いて家の中まで聞こえてきます。

観光客が楽しそうに話す声なんかも、聴き耳たてなくても、ガンガン聴こえちゃうんです。

 

そして、そんな皆様の様子を見たり聞いたりしちゃった時の、私の心の声。↓↓↓

 

*道端で、カエルさんや虫さんを見つけて、じゃがみこんで楽し気に遊ぶお子さまたち。

  →(あー、そのへん。近所の犬のトイレスポット! バッチッチィだぞ~!)

 

*今どき、「ヤッホー!!」なんて、能天気ほがらかに叫んじゃってる若者たち。

   →(あなたたちのヤッホー。山じゃなくて、わたしん家にこだましちゃってるだけですから~っ!)

 

*「こんなところに住んだら、きっと心も体も健康的になれるねぇ。」と、いかにも羨まし気に、でもその言葉の裏では、田舎をどこか見下してる感たっぷりな(←私にはそう聞こえてしまっている・・・)、私と同年代の方々。

  →(こんなところに住んで、私は心身ともに、より一層、不健康に磨きがかかってますわよ! オーーホホホッ!)

 

・・・ほんと、心身ともに不健全です。とくに心が。汚れちゃってますね(T_T)・・・

だいじょうぶ。迷惑オバサンにはなりません。

心の中だけ。あくまで心の中でだけ、毒づいてますから(^^;)

 

今日は、海の日。青くきれいな海を思い浮かべて、平静に大らかな気持ちで過ごしましょ(^^)v

 

義母、退院。

こんにちは。“はる”です。

 

約10日間の入院生活を終え、無事退院した義母。

倒れる前より、パワーアップして帰ってきたような・・・。

 

手術後の回復は早かったけれど、大事をとって、やや長めの入院でしたので、

ベッドでじっとしているのは、本人にとっては辛かったでしょう。

 

病室前にあるナースステーションを指しては、

「はるさん、あそこでお金払ってこないと、たいへんなことになるんじゃぁ。」

と、私が行くたびに心配してました。

「なんにも払わずに、泊まらせてもらって、食事まで世話してくれて、いいのかね。」なんてことも。

 

 →ここは、旅館やホテルじゃないんです。病院なんですよ。

  貴方は、倒れてかつぎこまれた病人ですから、お忘れなく。

 →ナースステーションは、会計レジカウンターではありません。

 →治療費、入院費等々は、退院するときに、まとめて支払うから大丈夫。

 

などなど、何度も説明しましたが、最後までイマイチ理解できないまま、退院とあいなりました。

 

なにしろ、倒れて動けない状態で、運び込まれた義母ですから、回復したとはいえ、体力的には衰えているし。

車での移動も、なるべく体に負担のかからないようにしなくては、と、座席のリクライニングとか、足が伸ばせるようにとか、夫と私でいろいろと考えて退院時の手はずを考えていました。

 

病院玄関前に予め移動しておいた車の後部座席に、義母を乗せるべく、ドアを開けて段取りを始めようとすると・・・、義母はヒョイヒョイ自力で乗り込み・・・、

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義母「早く、かえろー。」

まったく、介助いらず。

 

自宅まで約30分の道中も、元気いっぱい。元気すぎる・・・。

私は、用事があって途中で車を降りたのですが、その際も。

 

「はるさん! ちょっと、待った!!」

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と、ガッシリと、けっこうなチカラで私の腕をつかんだかと思うと、

「ヒロシ!! わたし、財布もってないから、ヒロシからはるさんに3枚!3枚、渡しておくれ!!」

(※ヒロシ=夫、3枚=たぶん3万円)

 

「いいですよ。お義母さん。いらないですから。」

「そうだよ。これでも一応、家族なんだから。お礼なんていらないよ。」

 ↓

( “これでも、一応” って、なんなのっ?!  )

 

義母「だって、今、渡しとかないと、はるさん、ウチにゃ、寄り付かないから。」

  「次に会う前に、死んじゃうよ。」

 

(・・・すみません。寄り付かなくって。)

 

「大丈夫だよ。ふたりとも、シブトイから。どっちもまだ当分、死なないよ。」

 

この親子は。なにげない会話の中で、無邪気に鬼嫁の私のことをディスってる?

 

付き合いきれませんので、私は、サッサとひとり、車を降りてバイバイしました。

お義母さん、退院おめでとう。

(・・・絵心ありませんが、イラスト入れてみました<m(__)m>)

 

義母の入院~鬼嫁の目にも涙~

こんにちは。“はる”です。

 

先日、義母が入院しました。

自宅で倒れ、動けなくなったにもかかわらず、

「病院行くくらいなら、家で死ぬ。」

「病院は怖いところだから、いやだ。」

と、言い張っていた義母。

昔っから、病院・医者・薬が嫌いな人で、それは義父もおんなじ。

そのDNAは、見事に息子(私の夫)にも受け継がれており、夫も滅多なことでは病院に行くことも、薬を飲むこともいたしません。

 

倒れて動けないのに、頑として医療を拒否する義母。

私は、

「動けないんだから、車に乗せて連れてっちゃえば、イイじゃん!」

「歳が歳なんだから、はやくどうにかしなきゃ。なにやってんのよぉ~!」

と、心配のあまり、涙ぐんだりもしながら、夫に訴えました。

 

しばらくすると、義母の様子を聞きつけた、親戚のおじさんやおばさんたちまで駆けつけて、みんなで本人(義母)を説得。

翌日、やっと病院に連れていくことができました。

 

ここの家族の人たちは、無理矢理どうこうしようとせず、本人の気持ちを大事にしてくれているんだな。みんなが、お義母さんを大切に思う優しさが伝わってきて、私は別の涙が出てきました。

 

でもさ、倒れた時は、すぐに行こうよ。病院。

 

検査のあと、簡単な手術が行われましたが、みんなの心配をよそに、本人はめきめき元気をとりもどして、もうすぐ退院です。

 

入院当初は個室で、手術後ということもあり、入れ代わり立ち代わり、看護師さんたちが病室に出入りして看護にあたってくださっていました。

 

その時の義母のことば。

「こんなに、いろんな人に親切にしてもらえて、申し訳ないんだよ。」

「お医者さんも、看護師さんたちも、みんなやさしくしてくれて、うれしくってしょうがない。」

「いいのかねぇ。こんなに他人様に良くしてもらったこと、ないからねぇ。」

 

あんなに病院嫌がってたのに、嬉しそうに笑ってた。

しかも、

「私、財布も持たずに来ちゃったから・・・。お礼を看護師さんたちに配りたいんだけどねぇ。」

って、看護師さんが来る度に、お礼に何か渡さなきゃと心配までしてるし。

・・・だって、お義母さん。倒れて運ばれたんだから、財布持ってるわけないじゃんっ!・・・と、心の中で大きくツッコミ。

 

義母はほんとにイイ人。超ド級の天然さ。

田舎で生まれ育ち、隣町のお義父さんに嫁ぎ、ずっとそこで暮らし続け、旅行に行くことも遠出をすることもない(というか、できないらしい)。自然の中で純粋培養されて生きてきたような人。(←ほめてます)

だから、私のような、ゆがんで育った上に、世間の垢にまみれちゃってる人間とは、相容れないところもあるのかもしれませんね。

 

それにしても、思ったより回復が早くてよかったよ。

やっぱり長年、健康的な生活送ってきてると身体の土台が違うのかしら。

この数日ですっかり病院慣れしてきた義母だけど、なるたけ病院のお世話になることなく、元気でいてくださいねっ! と、鬼嫁モードは、ただ今休止中なのです(#^^#)

 

 

 

「子育ては親育て」

こんにちは。“はる”です。

 

中学時代のある時期不登校だった、わが家の息子。

ガッコウのお勉強とか、世間の評価はさておき、私が言うのもなんですが、かなりイイ感じに育ってくれてます。

 

どんなふうな「イイ感じ」かというと・・・。

「おまえ、イイやつだよな~。」って感じの子で、

そして、天然なおもしろさが絶妙で。

この16年間、とても楽しませてもらってきました。

 

不登校だったり、反抗期だったりで、いろいろ大変なこともありましたし、今現在も問題がないわけじゃぁないけれど、そんなことは、吹っ飛んでしまうほど、息子には楽しませてもらってます。

 

息子は、病院ではなく助産院で、いわゆる「立ち合い出産」という状況のもと、この世に生まれ出てきました。

かなり難産だったです。

陣痛がはじまってから、私はかなり大騒ぎをしていたらしく、(だって、痛かったんだもん)、助産師さんからは、

「何十年もこの仕事やってきたけど、こんな大声で痛がる妊婦は、はじめてだよぉ!」

と呆れられてました。

 

そして、難産の末、産声をあげた息子を抱いて、助産師さんがおっしゃったお言葉。

「君は、たいへんなママのもとに生まれてきちゃったねぇ。」

「苦労が多いだろうけど、このママをよろしく頼むよ。」

 

それに対して、私のそばにいた夫は、

「やっぱり、そぉですよねぇ。」

と、深~いため息。

 

無事出産を終えて、チカラ尽きてる私の横で、こんな会話がされてました。

放心状態でなにも言い返せない私。

これが、息子の人生のスタートです。

 

おかげさまで、病気ひとつなく、いたって健康にスクスクと成長してくれました。

ほんと、こんな母親のもと、のびのびと育ってくれて、よかったよ・・・。

アタマん中も、ノビノビしすぎちゃってるのが、ちょっとアレだけどね。

うん。イイ感じ。それでいいんだよぉ。って、思えるから、大丈夫かな。

 

一方、私はというと。まったく、育ってませんね・・・。

体型的には、横に成長し続けてますけれど(-_-)

「子育ては親育て」という言葉を聞くと、「おまえの場合はそうじゃないだろっ。」って声が、どこかから聞こえてくるような気がします。

「子どもは成長してんだから、おまえも、もぅちょっとマシになんなさい。」って言われてるような・・・ね。

 

もうすぐ夏休み。息子が帰ってきます。

息子はこの春から、ココには居なくて。高校の寮で生活をしております。

これまで、「家に帰りたい」って気には、さらさらなっていない様子。

「こんな親のもとに居たら、ろくなことになんねぇよ。」くらいに考えているのだろうか。

ガンバレ、息子。かぁさんも、もう少しがんばってみるよ(^^)

あこがれの田舎暮らし。ではないけれど。

こんにちは。“はる”です。

 

若い頃、のどかな田舎で暮らしたいと、本気で考えていた時期がありました。

子どもを育てるなら、ぜったいに自然いっぱいの環境で育てたい、と思っていたし。

夫と結婚して少し経った頃から、かなり具体的に田舎で生活する計画を立て、実際にその方向で動き始めたりもしていて。

しかし、諸々の事情で頓挫してしまい、その後息子を授かり、出産後に横浜の手狭な部屋から、郊外の一軒家に引っ越しました。

 

その一軒家は中古ではあったけれど、リフォームして、かなり満足のいく暮らしをすることができた、と思っています。

だから、ココへの移住を決断する時に、一番悩んだのが、その愛着のあった家を手放すことでした。今でも、未練タラタラですから。

 

何年か前にテレビで初めて見た、ベネシアさん流の暮らし。

「あ、私、こういう暮らしにあこがれていたんだ。」

と、若い頃に思い描いた、私の理想の田舎暮らしを思い出し・・・。

でも、「今となっては、ただの夢物語だったんだ。」って、苦笑い(^^;)

 

ベネシアさんのような、丁寧な暮らし方は、こんなガサツな私には所詮無理。

物を大事にしてないわけではないけれど、なぜか、いろんな物を破壊してしまう不思議なパワーが私にはあるようで。

庭だって、花も緑もだいすきなのに、ガーデニングのレベルが低すぎて、ひどい有様になっているし。

 

住宅に関しては、古民家をリノベーションして・・・って、今でもそんな夢をもっていますが、経済的に実現不可。

現在住んでいる家は、しかたなく決めた物件で、場所も家も何ひとつ「イイね。」っていえるものが無い。

中途半端に古いだけの、非常に残念な一軒家。

たぶん、この土地にも家にも一生愛着をもつことはできないだろうな。

 

あぁ・・・とっても暗---い気分になってきた。

愚痴ばっかり言っててもはじまらない。

どうにか、ココから脱出する方法を、一生懸命考えよう。

ファイトっっ!!

 

(※私、今でも田舎は、好きです。ただ、今いる“ココ”がだいきらい・・・<m(__)m>)