どこかに吹く風

山ん中の笑えない毎日

田舎暮らし始めたものの・・・。「あんなことこんなこと、笑って吹き飛ばそっ。」と始めたブログですがもう笑う気力もございません。

ワタシのデカイ靴

こんにちは。“はる”です。

 

今日は、お詫びと訂正から。

 

昨日、息子の買い物に付き合い、自分の欲しい物はガマンをしました。

と、しおらしいことを書いてしまいましたが・・・。

ごめんなさい<m(__)m>。半分ウソです。

 

息子が靴を買ったABCで、息子が選んでる間に、私も何足か試着をしておりました。

だから、欲しい物を完全にはガマンできず、あわよくば、息子の靴と一緒にレジを通して、自分自身をなんとなくごまかそう、という魂胆があったわけです。

 

ウソじゃないのは、結果、買わなかったこと。というか、買えませんでした。

試着はしたものの、ことごとくサイズ感がアウトだったから。

 

私の足は、“だんびろ甲高”ってやつです。

若い頃、おしゃれなパンプスを履きたくても、なかなか履けるものがなくて、とても困りました。

華奢なデザインや細いヒール、なんてものを無理やり履いた日には、キツイし痛いしで、一日中生きた心地がしないものでした。

 

女子大生時代の友人だったAちゃんは、いつもミハマのパンプスで、見た目も足元も清楚感あふれるモテ女子。私には到底マネができなかった。

ちなみに、このAちゃんは、例の、自称“手づくり”おいなりでも、男心をわしづかみにした、あのカワイイAちゃんです。↓↓↓

 

dokokaniwind.hatenablog.com

 

私は、ミハマのパンプスなんて、これまでの人生で一度も購入したことがありません。

履けないから。

横浜元町には、学生時代も社会人になってからも結婚後も、よく買い物に出かけましたが、ミハマの前はいつも、うらめしそうに、ガラス越しに店内をチラ見するしかできませんでした。

 

デパートやおしゃれな店舗で、店員さんにフィッティングを頼み、このデカイ足を晒した挙句に、靴に足がまったく収まらない時の、恥ずかしさと屈辱感は、若い私には耐えがたいものでした。

 

恥ずかしい思いをしたのは、靴屋さんでだけではありません。

飲み会などの席がお座敷の場合、靴を脱ぐという絶体絶命的な場面が必ずや訪れます。

会社員時代は、帰り際、並べられた靴を見て、たいてい誰かが言うんです。

「あー。誰の靴かと思ったら、はるさんのか。男の靴かと思った。」

「うわー。すごい。オッサンみたいな靴、履いてるんだぁ。」

そして湧き上がる笑い声・・・。

 

みんな私のことを『何を言っても傷つかない女』と思っていたに違いないのですが、いくら私でも、恥ずかしいって気持ちはあったんですけどね。まだあの頃は。

 

昨日は、ABCの若くてきれいな女性店員さんがフィッティングのお手伝いをしてくださいました。

合う靴が無くて残念でしたが、もうこのワタクシ。その程度では恥ずかしいって感覚、無くなっておりますから。

親切な店員さんにお礼を言って、息子の靴3足のお会計だけ済まして、お店を出ました。

 

今の私のイチ番お気に入りで、楽チンな履物は、靴ではなくて、草履か下駄です。

さすがに洋服の時には履きませんが。

毎日着物で生活できれば、足元が絶対的に救われるんだけどなぁ・・・。