涙雨
今日は、朝から息子とふたりで泣いてしまいました。
起きてきた息子がポツリと私に言ったのです。
「おじいちゃんに、もう一度会いたい・・・。会いたかった。」
そして、眼を真っ赤にして泣き出した息子。
息子がこんなふうに泣くのは初めてです。
ずっとひとりで胸の奥にしまっておいた感情が、一気にあふれ出てきたのでしょう。
息子が悲しい気持ちに蓋をしながら、高校の寮生活で頑張っていることは、わかっているつもりでした。
でも、16歳の子どもには抱えきれないほどの、辛い思いをさせてしまっていること。母親として、言葉では言い尽くせないくらい申し訳ないと思っています。
昨年他界した私の父は、親族の中でも一番の息子の理解者でいてくれました。
不思議なもので、生まれた時から息子と父の間には、見えない絆というか、ものすごく強く通じ合うものがあったのです。
私たちが田舎(ココ)に移住する決断をした時、父は私たち家族のことを案じつつも、私や夫のことを信じ、心から応援してくれていました。
その私たち家族との繋がりを、残酷なやり方で絶ってしまったのは母でした。
ここに引っ越しをしてきた直後のことです。
それでも、当時まだ健康だった父が、そんな母をたしなめ、説得したこともあり、失われかけた関係が少しずつ修復し始めた矢先に、その父が病に倒れたのです。
そして、病床の父の思いや私たち家族の心配をよそに、母と兄の言動が常軌を逸していきました。
息子にとって、大切な心の拠り所であったおじいちゃんが、もう二度ともとの元気な姿には戻らないかもしれない、という現実に向き合うだけでも辛いことでしたが、そこに追い打ちをかけるような悲劇が起き・・・。
その頃、息子は不登校の状態から抜け出し、高校進学に向けて頑張ろうと動き始めた時期でもありました。
母のことも兄のことも、息子からしてみれば、自分を大切に思ってくれる優しいおばあちゃん、おじさん、と信じて疑うことなどあるわけもありません。
その、おばあちゃんとおじさんが、自分の目の前で、修羅場ともいえる光景を見せつけてしまったのです。
私の負った傷は相当のものでしたが、それよりも、息子の心に刻みつけられてしまった傷のほうがどれだけ深く大きなものか。傷を負わせた側の罪深さという点では比較のしようがありません。
しかし、当の本人たちには、大事な孫または甥を傷つけ苦しめたという自覚など微塵もないわけです。
家族だから身内だからといって、必ずしもわかり合えるわけではない。思いやることもできず、自分の感情のままに相手を傷つけ貶める人がいる。それが自分のごく身近に存在している。という自分の置かれた状況に、息子も苦しみ葛藤しています。
父は年齢的にいえば長寿を全うしたと言えるのかもしれません。
ですが、引き裂かれるような最期の別れとなってしまい、私たちはこれまでの経緯の全てを未だに受け入れることができずにいます。
もし、父も同じような思いで旅立ったのだとしたら・・・。せめて天国では心安らかに過ごしてくれていますように、と、願うことしかできません。
今は、思春期という多感な年頃で、自分のことだけでも精一杯な息子の気持ちに、できる限り寄り添えるよう、母親としてしっかりしなくては、と私自身の悲しみや苦しみは横に置いておくことにします。
夏休みに入ってから、ずっと雨模様のすっきりしない空です。
何日かぶりに晴れ間が覗いても、それはほんの一時で、またすぐに、しとしとと雨が降り始めます。
私たちと父の涙雨に思えてなりません。
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(追記)
↑・・・なんて書いた1時間後、晴れてきました!(^^;
この分だと、雨天延期だった花火。今夜は、自宅の庭でできそうです(*^^*)