どこかに吹く風

山ん中の笑えない毎日

田舎暮らし始めたものの・・・。「あんなことこんなこと、笑って吹き飛ばそっ。」と始めたブログですがもう笑う気力もございません。

ちっちゃい自分

ここ数日、些細な事で悶々としている自分に辟易しています。

どんなことかというと・・・。

 

今月、都内及び横浜方面への用事ができ(というか用事を作ったんだけど・・・)、夫から“出張旅費”の許可が下りたため、晴れて1泊2日の小旅行を決行することとなりました。

 

ちなみに、超緊縮財政の我が家では、ちょっとの遠出ですら交通費だけで大きな痛手。本気で遠出の場合は、財務係の夫に対してきっちりプレゼンを行い、快諾を得なければなりません。

 

諸々の用事は1日目に詰め込んで、2日目をどうするか。友人と会って食事でもするか、もしくは1人でブラブラするのもいいか・・・。

少し考え、せっかくなので友人Aさんを誘ってみることに。

とりあえず、日にちの都合がつくか否かだけメールで訊ねると、二つ返事でOKの返信が届きました。

ですが、そこから私のモヤモヤが始まります。

 

今回、私は横浜近辺に宿泊予定なので、久しぶりに横浜周辺を楽しみたいな、と内心考えておりました。

ところが、Aさん、日程OKの返事と同時に、即、ご自分の行きたい都内某所を提案なさる。

このAさん。割と我が強いタイプのお方で、これまでも、出掛ける場所やお店など、どちらかというと私の方が彼女に合わせてきました。

 

Aさんからしてみれば、私が上京するタイミングに合わせて出てくるわけだから、お互い様という面はあるにはある。

ただ最近は、会ってお別れする時、つい思ってしまうんだなぁ。

「Aさんは、ここから1時間もすればご自宅に到着。かたや私は、何時間も電車に揺られ、そこからまた家まで1時間、車の運転だよ・・・。」

ってね。

 

友人と会う楽しいひとときと、自分が費やす時間や交通費等を天秤にかけてしまってる時点で、もう、これだめじゃん。

あ、もしかすると、遠距離恋愛の恋人同士とかって、こんなふうに終焉を迎えていくのかしら。なんて想像しちゃったりする。 

Aさんと私はもちろんそういう仲(遠距離恋愛)ではありませんが(2人そろってアラフィフおばちゃんだよ)。いうまでもないか。(^^;

 

こんなことで悶々とするくらいなら、やっぱり今回は1人で気ままに、行きたいところ行って、見たいもの見て、食べたいもの食べる、ってコースにしちゃおっか。

 

・・・て、こんなつまんないことで悩んでました。(過去形)

でも決めた。今回は、おひとりさまコースで行こ。そうしよう。

 

 

あ~、胸のつかえがひとつ下りたら、お腹が空いてきたぞ。

たまには、スイーツでも買ってきて、午後は初秋のティータイムとするか♪

スイーツといっても、近くのコンビニだけど。

近くのコンビニといっても、一番近いコンビニまで約15kmあるんだけど。

・・・田舎暮らしは、なにかと疲れますゼ。(←また人格変わってる。誰、これ?)

 

新学期スタート~不登校の頃を思い返す~

今日から2学期。
息子は高校の寮生活に戻り、急に静かになった我が家です。

 

中学1年の2学期から登校渋りが始まり、3学期から不登校になった息子。
2年前の今頃、中学2年の夏休み明けは、学校に行けない自分を責めて苦しんでいた。
私たち親も。始業式前日まで、学校に行く気で張り切る息子の姿を見て、少し期待をしてしまって・・・。

始業式の朝、やっぱり学校に行けない息子にがっかりしてしまいました。

 

「親は“学校に行ってほしい”という期待をしてはいけない。そのプレッシャーが、ますます子どもを苦しめる。」と、よく言われています。
いろいろしちゃった私は、ダメですね。

 

夏休み後半、始業式が近づくと、不登校だったり学校に行きたくない子どもたちに向けてのメッセージが、様々なメディアを通じて発信されています。
『無理して学校に行かなくてもいい。』
『学校は命がけで行くところではない。』

ほんとに、そう。苦しい思いをして行く必要はないんです。

それでも、悩んで苦しんでいる子どもたちが大勢いるんですよね。

 

先週(8月26日)放送のNHK『ウワサの保護者会』のテーマは『不登校~保護者ができることは?』でした。

~以下、番組内容より~

◆国の取り組みの変化について
 ・昨年の文科省の通知。「不登校を問題行動としてはならない。」
 ・昨年末成立した「教育機会確保法」の中では、休むことの必要性、学校以外での学びの重要性についても強調されている。

不登校経験者の話
 ・「不登校経験によって、大事なことに気づくことができ、今に繋がっている。」
 ・「今は不登校をしてよかったと思う。」

 

 

このような情報は、不登校で悩んでいる子どもや親にとって心強い励みになるかもしれません。
また、世間の人たちの不登校に対する意識を変えてくれるかもしれません。

 

ただ、私は息子が不登校だった時期、同じような番組を見たり情報に触れたりすることがあっても、全く気持ちが晴れることはなく、むしろ余計に落ち込みました。 

休むことが認められ、学校に行かないという選択が認められても、自分たちの置かれた状況に少しの納得もできずにいました。


多くの子どもにとっては、家庭と学校とが社会の全てみたいなもの。 

私たちの住んでいるこの田舎では、家庭と学校以外に居場所を求めることは物理的にも不可能です。フリースクールどころか、図書館すらありませんから。


学校に行かず、しかも引きこもり状態にならないためには、時間やお金、たいへんな労力が必要なのです。

毎日学校に通うことが“当たり前”のことだとすれば、その“当たり前”が当たり前ではなくなった時、日常生活のすべての歯車がうまく回らなくなります。

 

当時、息子は「死にたい」という言葉を何度も口にしました。
本人が何に悩み何を苦しんでいるのか全部わかってあげることはできませんが、少なくとも本当に死にたいわけではないことは確かでした。


死んでしまいたいくらい苦しいんだよね。
“学校に行けない自分”が情けなくて、「俺はダメな人間だ」と自分を全否定していた時期もあり。
「学校に行きたい。でも行けない。」と葛藤し。

 

息子の性質上、教科の学習だけでなく、学校でないと学べないことの方が多く、学校に行かなくても自分で主体的に学べるタイプではない・・・。

家庭にいることのメリットはほとんどありませんでした。ホームスクーリングという手段も向かない。(親が教師役っていうのも無理。)

 

そういう状況でしたので、息子の自信回復のためにも、学ぶ機会を得るためにも、まず学校という“枠”に再び戻るということをひとつの目標にしたのです。(ただし、中学校に期待できることは、あんまりなかったけど(苦笑)。)

 

本人を追い詰めるようなことはしませんが、かなり厳しく叱ったり、お説教することも度々あったし、家族3人が本気で感情をぶつけ合うこともたくさんありました。
怒ったり泣いたり笑ったり。家族でジェットコースター状態でした。

 

こんなふうに私たちのやってきたことが、良かったのかどうかなんてわかりません。
ココには書けないようなことも、いっぱいやっちゃったし・・・。
そして、今も道半ば。
これから先、なにが起こるか、どうなるか。不安も心配も尽きません。

 

不登校になってよかった、とは到底思えない。それは息子も同じです。
でも、その経験があったからこそ気づけたことは確かにあります。
それを無駄にしないよう、前を向いてがんばるしかありません。

 

新学期スタートにあたり、いろいろと思い返してしまいました。
心穏やかに過ごせる今に感謝しながら。

 

続・ヒーロー大好き!

昨日、拙ブログにて私の特撮ヒーローへの熱い想いの一部を書いたあと、息子とカラオケへレッツ・ゴー!

レッツ・ゴー!といったら『レッツ・ゴー!ライダーキック』(仮面ライダー主題歌♪)(←しつこい・・・。)

 

カラオケ後半は、特撮ヒーロー主題歌を熱唱しまくりました♪♪

ヒーロー系主題歌の中でも、私が一番好きなのが戦隊シリーズの『獣拳戦隊ゲキレンャー』!!

それが・・・。昨日はじめて知ったんです。この歌の作詞、あの及川眠子さんだったということを!!

及川眠子さんといえば、エヴァンゲリオン残酷な天使のテーゼ』。それだけでなく、Winkの『淋しい熱帯魚』、やしきたかじん氏の『東京』など数々の名曲があります。

 

ゲキレンジャーの主題歌。もう、ココに歌詞の全てを書いちゃいたいくらいスゴいんですけど、著作権の関係とかがありますからね。

とにかく、及川眠子さんに感謝! 素晴らしい歌をどうもありがとう~~~~~!!

 

小さいころからヒーローに憧れていた私。

デビルマンガッチャマンなどアニメのヒーローも好きでしたが、やっぱり特撮ヒーロー!!!

どんだけ好きかというと、例えば・・・。

子どもの持ち物に名前を書いたりするとき。

『本郷猛』とか『藤岡弘』とか書いて、何度も怒られました。

 

ここ数年は、息子をダシにヒーローショーや映画を観に行ったりする程度で、変身ポーズの練習なんかはやっていません。

ヒーローショーの聖地、『シアターGロッソ』(東京ドームシティ)には年に1度は行きたいものです。

けど、ダシにしている息子ももう高校生ですからね。

この年齢層の親子で一緒に、っていうのは。ちょっと、どうかなぁ。

東京に近ければ、ひとりでも行っちゃうんだけどな・・・。

  

そして今や私の生活に欠かせないものとなった、ヒーローソング。

特撮ヒーロー系の主題歌を音楽プレーヤーに入れて、車の運転中や電車での移動中にいつも聴いてます。

 

曲もいいんですが、特に歌詞がいいんですよ。

落ち込んでる時、苦しい時、ヒーローソングにどれだけ励まされ勇気と希望をもらっていることか!!

この2~3年は絶望のドン底くらいな苦境が続いてましたから、ヒーローソング聴きながら、本気で涙したことも幾度となくありました(^^;)

 

ちなみに私のイチオシは・・・。

戦隊ヒーローでは前述の『獣拳戦隊ゲキレンジャー』♪

仮面ライダーシリーズでは『ELEMENTS』(仮面ライダー剣)♪

ウルトラマンシリーズでは『英雄の詩』(THE ALFEE)(新ウルトラマン列伝)♪

 

それ以外もイイ歌ばっかりで! 好きすぎて!

車の運転中に熱唱しちゃうと、ハンドル握りながら身体がシートの上で跳ねてますから。

それが原因なのか、私の車のエアサス。つい最近、運転席側のが破損してしまって、交換・修理いたしました。

夫に叱られました。

「はるの破壊力は、その歌声にもあるんだから、気をつけろ!」

はい。私、凄まじく音痴です(>_<)

 

 

 

 

 

 

 

 

ヒーロー大好き!

昨日は夏休み最後の日曜日

ちょっとがんばって遠出してきました。

わが家の場合、土・日・祝日など関係のない生活をしていますが、やっぱりアレは平日あんまりやってませんから。

 

『アレ』とは・・・・。

ヒーローショー!!!(^^)!

大好き~~~(@^^@)

仮面ライダーも好きですが、やっぱりヒーローショーは戦隊ヒーローのほうが盛り上がります。(←私見)

 

昨日は、とある町にて“ご当地ヒーローショー”が催されるとの情報をキャッチし(というか、私が真剣にネットで調べたのですけれど。)、息子を連れてレッツ・ゴー!

レッツ・ゴー!といったら『レッツ・ゴー!!ライダーキック』。誰もが歌える(と私は信じている)仮面ライダー主題歌♪♪

 

昨日のショー。なかなかのクオリティーで、息子そっちのけで、チビッ子たちと一緒になって応援しましたヨ。

ヒーローショーでのお決まりは、窮地に立たされたヒーローたちへの「がんばれーーー!!」の声援です。

子どもたちの「がんばれーーー!!」でヒーローたちは再び立ち上がり、敵と闘うのです。

その声援の中に、ちょっとくらい、こんなオバチャンのガサガサ声が混じっていたって、誰からも文句は言われません。(言われてないだけで、迷惑がられてる可能性はアリ。)

 

ヒーローショー。私が子供だった頃も、スーパーの特設会場などで開催されていたのだろうか。観に行ったことなどないのでわかりません。

私のヒーローショー・デビューは、息子が小学校低学年の頃に、家族3人で行った大井競馬場

その時期TV放送中の『獣拳戦隊ゲキレンジャー』! キャッチコピーは「高みを目指して、学び、変わる!」

この大井競馬場でのヒーローショーデビューで、私の中に眠っていたヒーローへの熱い思いが再燃しちゃったんです。

 

私には年の離れた兄が一人おり、物心ついた頃から、戦いごっこの相手をさせられてました。当然、私はいつも倒される怪獣役。

ウルトラマンになりきった兄に投げ飛ばされ、窓ガラスに頭から突っ込んで血を流し、仮面ライダーになりきった兄にライダーキックをくらい、口の中が血だらけになり・・・。

という、血塗られた過去を抱えて生きてきました(^^;)

 

そんな体験が関係しているかどうかわかりませんが、私の子どものころの夢はヒーローになること。

ウルトラマン仮面ライダーは、兄に先を越されていましたから、私の憧れは、『デビルマン』『ガッチャマン』『ゴレンジャー』といったラインナップ。特に『秘密戦隊ゴレンジャー』のTV放送が始まったときの衝撃といったら!!

中でも、アオレンジャーになりたっかったな・・・。モモレンジャーじゃなくて。

 

あれ? えっと、まだまだ長くなりそうなので・・・。次回につづく。

中途半端ですみません<m(__)m>

 

 

 

 

『苦しいときの神だのみ』

一昨日、息子とふたり、都内に用事があって日帰りで出かけてきました。

自宅から目的地まで片道約4時間半。

日帰りで往復するのは、かなりの強行軍です。

 

新幹線や特急列車を使えば、移動時間をもっと短縮することはできますが、なにしろ現在のウチの家計は超緊縮財政。

田舎(ココ)から都内までの交通費は大きな出費です。贅沢はできません。

 

せっかく労力使って出かけるわけなので、限られた時間内にできるだけやりたい事を詰め込みます。

今回は、メインの用事を済ませた後、久しぶりに『柴又帝釈天』にお参りへ。 

息子にとっては初めての柴又帝釈天。親子揃って、ようやく“お礼参り”が実現しました。

 

3年前の秋、私ひとりで参拝したのが最初。

なぜ、柴又帝釈天だったのか? 自分でもわからないのですが。

当時、中学1年生だった息子が不登校になりはじめ、息子のこと以外でも、いろんな災難が次々と起こり、心身ともに憔悴しきっていた私。

その日も、別の用事で都内に出かけていたのですが、その帰りになんとなく柴又帝釈天に足が向いたのでした。

 

京成バスを降りてすぐに見える参道は、想像していたものよりもコンパクトで、帝釈天まであっというまに到着。

そのこじんまりした感じが、なんともいえず落ち着いたし、参道のお店のいくつかに貼ってある『寅さん』のやさしい笑顔に癒されました。

 

お賽銭箱の前で手を合わせ、絵馬を納め、息子と夫と自分用に御守りをいただいて、またそこから約5時間の道程をひとりでトボトボ帰ってきたっけ。

 

その頃の息子は、すっかり笑顔が消えて、苦しそうな表情ばかりでしたので、とにかく一日も早く息子に元気な笑顔が戻りますように、というようなお願いごとをしてきたと記憶しています。

 

その後も、年に一度は私ひとりで帝釈天のお参りに立ち寄りました。

初めての参拝から1年後には笑顔を取り戻しただけでなく、息子自ら学校にまた行く決意をし、2年後には高校進学に向けて励んでいました。(四苦八苦でしたが・・・)

 

3年経った今、順風満帆とはいきませんが、とにかく元気で活き活きと高校生をやってます。

(ちなみに、16歳の彼。『男はつらいよ』も『寅さん』も『渥美清さん』も知りません。寅さんのポスター見て、「このおじさん、だれ?」ですから。)

 

ただ、欲を言えば、『学問の神様』からは、未だに御利益いただいてないかも。

高校受験にあたっては、『湯島天満宮』にもお参りした私。

合格祈願の鉛筆とか御札とかハチマキとか、いろんなアイテムをいただいて、絵馬にも地元進学校の学校名を入れて・・・。

欲張りすぎちゃぁいけませんね。

 

今、息子のカバンに揺れているのは、柴又帝釈天の『勝負』御守り。

いつなにを勝負するんだか・・・。ですが、なんだかパワーをもらえてる気がする(#^.^#)

 

『諦めの悪いひと』らしい・・・

夫に言わせると、私は“諦めの悪い人間”らしい。

口下手で、そのうえ理屈っぽい夫は、たびたびヘンテコなことを言っては、相手を怒らせてしまう。

本人にその自覚はない。

 

「はるは、諦めが悪いんだよね。粘着質っていうか、しつこいんだよ。」

なんて言われ方されて、喜ぶ人っています??

コレを言われた時、激・怒りましたよ。

「なにそれ?! それじゃ、私、まるで“ストーカー”みたいじゃない?!」

って。

  

しばらく会話は噛み合いませんでしたが、夫が言いたかったのはこういうことでした。

「はるが、諦めず腐らず、粘り強く中学校に対して交渉を続け、協力をお願いしてきてくれたお陰で、息子が自分に合った居場所を見つけ、今がんばることができている。(ありがとう。)」

(→『ありがとう』が()つきなのは、ちゃんと言われた自信がない。空耳だったかも・・・。)

 

あ、なんだ。どちらかといえば、お褒めの言葉だったのね。

ですが、夫のその言葉にピンとくるものは無く、嬉しいというよりは驚きでした。

 

私の人生は諦めの連続。ダメダメな人生。

失われ、奪われ、そして諦める。の繰り返しだった。

なーーんて、かなり卑屈で自己肯定感なんてゼロ。というよりマイナスな自分でしたからね。

 

そんな私でも、子どものこととなれば話は別のようです。

ここが、『諦めの悪いひと』ってとこに繋がるのかな?

特に息子が不登校になってからは、エンジン全開でガンガンやっちゃいましたよ~。

(※くれぐれも申し上げますが、“モンスターペアレント”ではありません。ココ重要!)

子どもが大変な状況に置かれてるときに、卑屈になってる場合じゃぁない。

しかも相手が学校じゃ。しっかり信念もって、冷静に理路整然と事を運ばなきゃぁなりませんゼ。(って、人格、変わっちゃってるヨ。)

 

そうなる前から(登校拒否状態になる前から)、中学校には相談・お願いという形で息子の学校生活が少しでも改善されるよう、話をしていました。

平身低頭に。でも言うべきことは、ハッキリ、キッパリと。です。

 

しかし、どこにいっても人間関係って、わかってもらいたい人に、こちらの思いが通じるとは限らない。

息子の学校の先生方が揃いも揃って、頭カッチカチ~、聞く耳なんてありませ~ん、っていう絶望的な環境だったことは、かなりネックになっていましたが。

 

中学入学当初から、担任等から適切とは言えない(はっきりいって不適切な)扱いや発言を受け、また同級生たちからも、悪い意味での“転校生あるある”的な扱いを受け。

ある程度の困難は入学前から想定していましたが、ふたを開けてみると、想像以上に酷かった(-_-;)

(※中学入学と同時に、遠方から田舎(ココ)に転居しております。)

 

悔しい思い。やりきれない思い。たーーーっくさん、しました。

もう今すぐココから逃げ出したい!! と何度も真剣に考えました。(実際、逃げ出しかけたこともアリ。)

 

諦めるとか諦めないとかじゃなく、ただひたすら、目の前に立ちはだかる問題をひとつひとつクリアしていかなきゃ、と、孤軍奮闘した中学校3年間。

『対峙』するでも『対立』するでもなく。

 

子どもが不登校になったとき、親はこうするべき、とか、親はこんなことをしてはいけない、とか、いろんな考え方やご意見はありますが、子どもが百人百通りなら、親も百人百通り。

私がやってきたことは、おそらく一般的な考え方からすると、『よいこは、決してマネをしないでね。』ってレベルかもしれません(笑)

ただし、先ほども申しましたが、絶対に私、“モンペ”ではありませんからっ(^^;)(←ココ、もいちど強調しときます!)

 

わが家の子育ては、現在進行形。

高校生となった息子。今の学校は好きだし毎日楽しい、と、本人は言っております。

それでも、義務教育だったこれまでとは違った、新たなる問題も続出中~~。

しっかりしておくれよ、そこの16歳!! 喝っ!!

 

まだまだ、諦めの悪いカアサンで、ガンバリますゼ!(^^)v

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

涙雨

今日は、朝から息子とふたりで泣いてしまいました。

起きてきた息子がポツリと私に言ったのです。

「おじいちゃんに、もう一度会いたい・・・。会いたかった。」

そして、眼を真っ赤にして泣き出した息子。

 

息子がこんなふうに泣くのは初めてです。

ずっとひとりで胸の奥にしまっておいた感情が、一気にあふれ出てきたのでしょう。

 

息子が悲しい気持ちに蓋をしながら、高校の寮生活で頑張っていることは、わかっているつもりでした。

でも、16歳の子どもには抱えきれないほどの、辛い思いをさせてしまっていること。母親として、言葉では言い尽くせないくらい申し訳ないと思っています。

 

昨年他界した私の父は、親族の中でも一番の息子の理解者でいてくれました。

不思議なもので、生まれた時から息子と父の間には、見えない絆というか、ものすごく強く通じ合うものがあったのです。

 

私たちが田舎(ココ)に移住する決断をした時、父は私たち家族のことを案じつつも、私や夫のことを信じ、心から応援してくれていました。

その私たち家族との繋がりを、残酷なやり方で絶ってしまったのは母でした。

ここに引っ越しをしてきた直後のことです。

 

それでも、当時まだ健康だった父が、そんな母をたしなめ、説得したこともあり、失われかけた関係が少しずつ修復し始めた矢先に、その父が病に倒れたのです。

そして、病床の父の思いや私たち家族の心配をよそに、母と兄の言動が常軌を逸していきました。

 

息子にとって、大切な心の拠り所であったおじいちゃんが、もう二度ともとの元気な姿には戻らないかもしれない、という現実に向き合うだけでも辛いことでしたが、そこに追い打ちをかけるような悲劇が起き・・・。

 

その頃、息子は不登校の状態から抜け出し、高校進学に向けて頑張ろうと動き始めた時期でもありました。

 

母のことも兄のことも、息子からしてみれば、自分を大切に思ってくれる優しいおばあちゃん、おじさん、と信じて疑うことなどあるわけもありません。

その、おばあちゃんとおじさんが、自分の目の前で、修羅場ともいえる光景を見せつけてしまったのです。

 

私の負った傷は相当のものでしたが、それよりも、息子の心に刻みつけられてしまった傷のほうがどれだけ深く大きなものか。傷を負わせた側の罪深さという点では比較のしようがありません。

 

しかし、当の本人たちには、大事な孫または甥を傷つけ苦しめたという自覚など微塵もないわけです。

 

家族だから身内だからといって、必ずしもわかり合えるわけではない。思いやることもできず、自分の感情のままに相手を傷つけ貶める人がいる。それが自分のごく身近に存在している。という自分の置かれた状況に、息子も苦しみ葛藤しています。

 

父は年齢的にいえば長寿を全うしたと言えるのかもしれません。

ですが、引き裂かれるような最期の別れとなってしまい、私たちはこれまでの経緯の全てを未だに受け入れることができずにいます。

 

もし、父も同じような思いで旅立ったのだとしたら・・・。せめて天国では心安らかに過ごしてくれていますように、と、願うことしかできません。

 

今は、思春期という多感な年頃で、自分のことだけでも精一杯な息子の気持ちに、できる限り寄り添えるよう、母親としてしっかりしなくては、と私自身の悲しみや苦しみは横に置いておくことにします。

 

夏休みに入ってから、ずっと雨模様のすっきりしない空です。

何日かぶりに晴れ間が覗いても、それはほんの一時で、またすぐに、しとしとと雨が降り始めます。

私たちと父の涙雨に思えてなりません。

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(追記)

↑・・・なんて書いた1時間後、晴れてきました!(^^;

この分だと、雨天延期だった花火。今夜は、自宅の庭でできそうです(*^^*)