どこかに吹く風

山ん中の笑えない毎日

田舎暮らし始めたものの・・・。「あんなことこんなこと、笑って吹き飛ばそっ。」と始めたブログですがもう笑う気力もございません。

『苦しいときの神だのみ』

一昨日、息子とふたり、都内に用事があって日帰りで出かけてきました。

自宅から目的地まで片道約4時間半。

日帰りで往復するのは、かなりの強行軍です。

 

新幹線や特急列車を使えば、移動時間をもっと短縮することはできますが、なにしろ現在のウチの家計は超緊縮財政。

田舎(ココ)から都内までの交通費は大きな出費です。贅沢はできません。

 

せっかく労力使って出かけるわけなので、限られた時間内にできるだけやりたい事を詰め込みます。

今回は、メインの用事を済ませた後、久しぶりに『柴又帝釈天』にお参りへ。 

息子にとっては初めての柴又帝釈天。親子揃って、ようやく“お礼参り”が実現しました。

 

3年前の秋、私ひとりで参拝したのが最初。

なぜ、柴又帝釈天だったのか? 自分でもわからないのですが。

当時、中学1年生だった息子が不登校になりはじめ、息子のこと以外でも、いろんな災難が次々と起こり、心身ともに憔悴しきっていた私。

その日も、別の用事で都内に出かけていたのですが、その帰りになんとなく柴又帝釈天に足が向いたのでした。

 

京成バスを降りてすぐに見える参道は、想像していたものよりもコンパクトで、帝釈天まであっというまに到着。

そのこじんまりした感じが、なんともいえず落ち着いたし、参道のお店のいくつかに貼ってある『寅さん』のやさしい笑顔に癒されました。

 

お賽銭箱の前で手を合わせ、絵馬を納め、息子と夫と自分用に御守りをいただいて、またそこから約5時間の道程をひとりでトボトボ帰ってきたっけ。

 

その頃の息子は、すっかり笑顔が消えて、苦しそうな表情ばかりでしたので、とにかく一日も早く息子に元気な笑顔が戻りますように、というようなお願いごとをしてきたと記憶しています。

 

その後も、年に一度は私ひとりで帝釈天のお参りに立ち寄りました。

初めての参拝から1年後には笑顔を取り戻しただけでなく、息子自ら学校にまた行く決意をし、2年後には高校進学に向けて励んでいました。(四苦八苦でしたが・・・)

 

3年経った今、順風満帆とはいきませんが、とにかく元気で活き活きと高校生をやってます。

(ちなみに、16歳の彼。『男はつらいよ』も『寅さん』も『渥美清さん』も知りません。寅さんのポスター見て、「このおじさん、だれ?」ですから。)

 

ただ、欲を言えば、『学問の神様』からは、未だに御利益いただいてないかも。

高校受験にあたっては、『湯島天満宮』にもお参りした私。

合格祈願の鉛筆とか御札とかハチマキとか、いろんなアイテムをいただいて、絵馬にも地元進学校の学校名を入れて・・・。

欲張りすぎちゃぁいけませんね。

 

今、息子のカバンに揺れているのは、柴又帝釈天の『勝負』御守り。

いつなにを勝負するんだか・・・。ですが、なんだかパワーをもらえてる気がする(#^.^#)