どこかに吹く風

山ん中の笑えない毎日

田舎暮らし始めたものの・・・。「あんなことこんなこと、笑って吹き飛ばそっ。」と始めたブログですがもう笑う気力もございません。

続・“結婚できない女”が、なんで結婚できてしまったのか?

こんにちは。“はる”です。

 


↑ ↑ ↑

昨日書いてみたけれど。

なんでいまさら、こんな昔のこと思い返してしまってるかといえば、最近わりとよく目にする、『シニア向け婚活』関連のパーティとかイベントとか、そういうの。

今の自分がひとりになったら、どうなるんだろ・・・・。

と、常日頃、とてつもない不安感を抱えて生きているので、夫に万が一のことがあったなら、私はその後どうやって生きていくのか。ほんとに、お先真っ暗なんです。

 

自分の実家とは、ほぼ絶縁状態にあり、夫の義実家はご近所だけど、舅・姑だっていつどうなるか。それに、義実家との交流、とっても薄~いし。

 

今だって、こんなブログ書いてる場合じゃないってことはわかってる。

うん。家の外に出てパートのオバちゃんでもなんでも、自分でできることやらなきゃ!って、毎日思っているけれど、思っているだけで月日は流れ・・・。

 

過去を振り返ると、ほんとに行き当たりばったりに生きてきてたんですよね。

↑ 前の記事にも書いたように、若い頃の友人たちは、みんな、学生時代から先を見越して結婚のこととか考えてた。

何も考えてない私の周りで、みんな、きっちり婚活してたんですよね。

 

合コンとか、そういうの、私もたくさん誘われて行きました。

人数合わせか、安心・引き立て役として、便利な存在だったわけです。

 

「はるちゃんなら、ぜったい大丈夫。」

っていう確信が友人たちにはあった。

その通り。ぜったい大丈夫な人物でしたからね。

合コンだろうがなんだろうが、食べたいだけ食べて、飲みたいだけ飲む。

自己紹介とかするときも、普通の女の子は、「ホントのこと+α」で多少なりとも、盛って話すけど、私はだいたい超エエ加減なこと言って、場をシラケさせてました。

 

だって、知らない男性の前で、まともに自分を紹介できるような実のある人生歩んでませんでしたからね。

だから、私が誰かとカップル成立(古っ・・・)するなんてことは、100%ありえない、どこにでも安心して連れてける、いい女友達だったんです。

 

夫とは、とあるアウトドア系の趣味の集まりで知り合って、その仲間たちと複数でワイワイ飲みに行ったりする、ただそれだけの仲だったんです。

(あ、このときは、“おひとりさま” じゃぁなかったんだな・・・。)

 

ふたりだけで初めて食事に行ったのも、イイ感じ~な雰囲気になったからではなく。

ある時ちょっとしたトラブルがあって、そのお詫びに、夫が私に食事をごちそうするよ! って展開だったんですよね。それは確かです。

私、その時、「食べ物でごまかさんで、金で返せや~~っ!!」って、ご立腹状態だったの、よく覚えてますから。

その一度だけ食事に行って終わるはずの私たちが、まさか2年後に結婚しちゃうとは、誰も思わなかったですよ。私たち自身も。

 

夫の方にも、まるっきりその気はなかったのは明らかでした。

そのとき食事したお店、カジュアルだけどまぁまぁなレストランでしたけどね、最初の飲み物の注文の時、いきなり、「ビール、ピッチャーで。」って。

ドドーンとバケツみたいなビールのピッチャーが出てきましたから。

相変わらず、なんの遠慮も無く、よく食べよく飲み、ただそれだけだった。

 

なんで、そんな女と付き合おうと思ったの?って、夫にきけば、

「忘れたい過去。取り消せるものなら取り消したい。」と答えるだけ。

「それでもさ、女子力、ってのは無いけど、なにか他に魅力みたいなの、あったんじゃないの?」

と、食い下がってきいてみました。

「はるにあるのは、破壊力だけだろ。」

即答する夫。

ごもっともすぎて、それ以上返す言葉もございません。

 

なんで、結婚して、そして20年以上続いてるかって考えてみると、

『女子力なし、破壊力あり、のガサツな女』に対して、夫の持ち味は、誰にも負けない『鈍感力』。

私だけでなく息子も、夫の鈍感さには、イライラむかつくことが多いです。

でもね、あのくらい鈍感じゃなきゃ、こんなガサツな鬼嫁といっしょに居られないですね。

これべつに、ノロけてるわけではありませんから。

 

というわけで、なんで結婚できたのかは、本人同士も一生謎のまま。

この先、私がひとり身になることがあったとしても、やっぱり婚活はできないまま、“おひとりさま” “ぼっち” なオバアちゃんになっていくのだと、覚悟を決めるしかないですね。

 

~なんだかまとまりのないまま、とりあえず、おしまい。~