久しぶり~♪友人とのお食事。
こんにちは。“はる”です。
昨日は都内に用事があり、そのついでに、久しぶりに友人と会う約束をしていました。
蕁麻疹があまりにひどくて、どうなることかと思いましたが、
一昨日の注射とお薬で、無事、回復~。
月に1度は東京まで出かけなければならない用事があり、ひとりで電車で行くのですが、予算の都合上たいていは弾丸日帰りツアー状態なので、なかなかゆっくり楽しむ時間をもてません。
昨日も日帰りではありましたが、どうにかやりくりして友人と夕食できました。
こんな田舎に暮らしてると、外食することなど、ほとんどなく。
「あそこに食べにいこ~!」と、その気になれる、美味しいお店なんかもないわけで。
外食そのものも久しぶりでした。
田舎暮らしを始める前の私は、かなり外食率高かったほうだと思います。
なにしろ、食べることが一番の楽しみでもあるのでね。
外食産業には結構、貢献してきたんじゃないかな?(笑)
その分、貯金とか全然できないまま、ここまできちゃいました(^^;)
普段、私が話す相手といえば、
マル>助さん>夫>息子、の順で、
(※マル=ニャンコ ※助さん=ワンコ)
家族以外は、人間との接点がゼロに近いため、人間の言葉を発すること自体が、ものすご~~く少ない生活。
それに、夫と話しをしても、あっという間に話がかみ合わなくなり、かえってストレスになるパターンが多いし。
息子とは、会話というより、お互いに言いたいこと言って、はい、終了。って感じ。
だから、昨日は久々に、人間らしい言葉のやりとりができたような、そんな達成感をもって帰ってくることができました。
その彼女は私と同年代のシングル。好きなことを仕事にして、オフの時には、仕事とは別の好きなことして。とっても素敵な女性です。
若い頃からの知り合いではなく、わりと最近、私が田舎暮らしを始めてから、ひょんなことで知り合った彼女。
田舎で引きこもり生活中の私。そんな私と彼女との間で、あんなに会話が弾むというのが、これがまた不思議で面白いんですよね。
美味しい食べ物と、楽しいおしゃべりで、リフレッシュできました(^O^)
帰りの電車には、仕事帰りの会社員の方がたくさん。(スーツ姿だったりなので、たぶん会社員だと思われる方たち、です。)
私は、始発~終点までの長旅なので、いつもグリーン車を利用しています。
会社員(らしき)方たちは、それぞれに、ジャケットを脱いで、座席に座り、プシュッっと、缶ビールを開けて、おつまみ開けて、などなど、くつろぎタイムが始まります。
私は・・・、最寄り駅からまた車を運転して家まで帰らねばならないので、ビールなんか飲みたくても飲めませんから・・・。
気がつくと、寝ちゃってます。
缶ビールやら、おつまみやら、車内はちょっとクサいんですけど、それでも寝ます。
ひと眠りして目を覚ますと、もうほとんどの乗客が降りてしまって、ポツポツとしか人のいないグリーン車。
外の景色も、ビルはなくなり、お店も少なくなり・・・。
このあたりから、どんどん侘しさが増してきます。
さらに、最寄り駅へ向かうローカル線に乗り継ぐと。
民家もまばらになってきて。・・・っていうより、窓の外、真っ暗でなんにも見えないじゃん・・・。
あぁ・・・また、なにもないあそこに帰っていくんだ・・・と、なんとなく、太平洋の沖まで連れてかれて、ポイっと放り出されたような感覚になるんです。
この感覚に慣れるときがくるのかな・・・。
思い返してみると、これまでの人生の中で、自宅に帰る電車の侘しさをあまり感じなかったのは、京急線と京浜東北線沿線に住んでたときかもしれない。
その先に横浜があるから。かな~?
あの頃が、いちばんいろんな所にちょいちょい出かけて遊んでたなぁ。若かったし。
懐かしい~~~。(ただ今、遠ーーーい目になっております。)
ま、泣いても叫んでも、都会がこっちに寄ってきてくれるわけはないんだから。
友人との次のお約束なんかを楽しみに、また今日からがんばるしかない・・・。
昨日の自分をリセットしました
こんにちは。“はる”です。
はぁ~~・・・。疲れた・・・(T_T)。
今日は朝からいろいろと大変なことがあったのですが、それを終えたあと、自分のかかりつけのお医者さんに行ったりしてきました。
その前に。昨日の深夜、昨日書いたこのブログの記事を消しちゃった。
自分のアタマん中が、負のループに陥りかけていることに気づいたからです。
先週あたりから、なんだかカラダのあちこちがカユかった。
それが、昨日いっきに蕁麻疹として赤々とまだら模様が全身に出現!
カユイったら、カユイったら・・・。
その時点で気がつけばいいのに、気づけなかった私。おバカ。
そして、夕食後、朝ドラ「ひよっこ」昨日放送分の録画を観て・・・。
「はっ!」としたシーンがあって・・・。
宗男おじさんが夜空に向かって叫んだひとこと。
「オレは笑って生きとっと~~!」です。
あぁ・・・。そうだ。そうだった。私、大失敗。
ここ最近、いろんな事がたて続けにあって、かなり精神的に参ってた。
(あ、あの『田んぼ落ち』は、全く精神的ダメージなしでしたよ(^^)v)
常々、夫から、注意されていることがありまして。それは、
「はるは、疲れてるときや、シンドイときは、ニュースとか新聞とか見ない方がいいよ。」
ということ。
今回は、その私自身の取り扱い注意事項をすっかり忘れて、ダークサイドに足を踏み入れかけてました。
私の中には、たくさんのトラウマがあって、日常生活の中にもトラウマ記憶を刺激してしまうことは、いっぱいありますが。
特に、ニュースとか新聞などで取り上げられる、事件とか問題などは、トリガーになりやすいものが多いんです。
今回は、チラ見してスルーしちゃえばよかったはずの、ひとつのニュースに、どっぷり「怒り」の感情を浸してしまってたのですね。
自分でトリガーを引いてしまったようなもの。
なんで、宗男おじさんのセリフに、ハッとしたかといえば、
私も、「私は笑って楽しく生きてるぞ~~!」って感じでやってこう! と、ある時から、そんな意識を強めに持ってやってきたから。
宗男おじさんとは、置かれた環境とかいろいろと違いますけれど。
ハッとした後に、そうそう、このカッユい蕁麻疹も、ストレス過剰になったときにあらわれるヤツラだったわ~、と思い出したんです。
で、とりあえずは、ダークサイドな精神状態で書いてしまった昨日の記事は削除しちゃいました。
あれじゃ、ヘンテコな怒りんぼオバサンだもん。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今日は、かなり忙しくハードな1日でしたが、それでも自分の病院にも行けて、蕁麻疹の注射してもらって、お薬ももらって、帰ってこれました。
もう、カユみがだいぶ治まってきて、ホっ。
昨日の朝は、ほんとにくっだらない会話でスタートしたんだっけ。
あの雰囲気のまんまでいけてたら、よかったのかもな・・・。
ということで。
昨日の朝、あまりにくだらなすぎて、撮っておいた写真があるので。その時の会話とともにご紹介。
(※ほっんとに、バカバカしくて、誰が見てもおもしろくもなんともないので、ご了承ください<m(__)m>)
夫 「おはよーー。」
はる「オハヨ~~。見て見て~~! 壁に毛が生えてるぅ!」
(↑わかりにくいけど、この茶色の木目は壁です。)
夫「はる・・・。つまんなすぎるよ。」
私「いつも、サッブいおやじギャグしか言えない、あなたに言われたくないヨ!」
・・・このあと延々とくだらないやりとり・・・
つまんなすぎてもなんでも、このくだらない空気感あたりまでリセットして、また楽しくがんばりましょ~っと。
ちなみに、壁から生えてる毛、の持ち主さんは。このカワユイわが家の娘ちゃんですぅ(=^・^=)
私と、毎日、「チョレ~イっ♪♪」って遊んでくれてる、マル(ニャンコ・♀)です(#^^#)
フワフワモフモフなおてんばさんですよ(^_-)-☆
雨の日の悲劇~田舎暮らしでは、よくあることなのか・・・
こんにちは。“はる”です。
昨日、田んぼに落ちました。
雨も降っていたし、とっても汚くなりました。
田植え時期から約2カ月。
田んぼの水も、なんだドロっとしたような感じがします。
去年より、田んぼの水の感触が、いっそう気持ち悪かったです。
そう、今回が2度目の『田んぼ落ち』です。
田舎に住んでいれば、田んぼに落ちるなんてことは、珍しい経験ではないのかもしれません。
車ごと落ちた、とか、バイクで・・・、自転車で・・・、などなど、
『田んぼ落ち』は、田舎暮らしでは、あるある話のようです。
去年は、5月のはじめ頃、ちょうどこの辺りの田植えがみんな終わった時期に。
やっぱり、雨の降る早朝の出来事でした。
助さん(ワンコ・♂)とふたりで楽しくお散歩に出かけた先で。
ブログ編集の『絵を描く』機能の使い方がわからないので、
紙に書いたイラストをデジカメで撮ってみました。(苦労しました(^^;))
(※絵心とかセンスとか、まったく無いです。すみません<m(__)m>)
雨の中、傘さして助さんとお散歩へ。
しばらく行くと、田んぼ横の道端で、助さん、カエルさんに遭遇。
うれしくって、大はしゃぎの助さん。
↓
・・・助さんの急な動きについていけず、石にけつまずく私。
そして、バランスを崩し、頭から土手をまっさかさま・・・。
はい。私の『田んぼ落ち』最終形。
眼の上ぎりぎりまで、田んぼのお水にアタマが浸かってます。
無我夢中で、土手を這い上がる私。
この時も、助さん、無邪気に草食べてましたっけ・・・。
(イラストには描けませんでした。)
こんなヨレヨレの様子で家に帰りました。
あまりのショックに、半べそかいてた、私。
家の玄関開けて。
私「〇〇(夫の名前)~~!!ちょっと、来て~~!!」
夫「あぁ。おかえり~。」
私の姿を見ても、まったく動じていない夫。
私「田んぼに落ちちゃったよぉぉぉぉぉ(泣)」
夫、すかさず、
「稲は?! 稲はダイジョウブだったのかっっ?!」
私「・・・?!・・・(; ・`д・´)!!」
「私のケガとか、助さんとか、そっちの心配はないのっ?!」
夫。何も答えず。「着替えたほうがいいよ^_^」
なんだ、この人?
泥水にまみれて、ケガしたかもしれない、私の心配なし?
しかも、即、『稲』の心配?
そりゃぁ、私が落ちたのは、ヨソの農家さんの田んぼです。
稲は大事。お米は大切。わかるけど・・・。
私、稲に負けたんだ・・・。
打ちひしがれた気持ちで、シャワーを浴びて着替え。
そして、朝食づくり。
ようやく起きてきた、息子。
「おはよー。さっき、おっきな声出してたけど、またなんか、やったんかぁ?」
私 「田んぼに落ちて、たいへんだったのよ~。」
息子「ふーーーん。ばかなことばっかり、やってんじゃないよぉ。人騒がせだなぁ。」
「はらへった。めし!!」
家族の誰にも心配されない私。鬼嫁の宿命なのかと、わが身を呪いました。
昨日も、誰も心配していませんでした。
稲には負けたけど、がんばろ。
(※ ちなみに、田んぼの稲は、無事でしたので、ご安心を。)
穴のあいた靴下の修繕法(ポジティブシンキング編)
こんにちは。“はる”です。
私の夫、靴下にすぐ穴があきます。親指の先に。
サラリーマン時代からそうだったのですが、脱サラしてからは、以前よりずっと穴があくのが早くなりました。
脱サラ後は、もっぱら軍足というタイプをご愛用。
はじめの頃は、5本指ソックスだったのですが、5本指のは洗濯が面倒で。
脱ぐ時、クルっと裏返ったまんま、洗濯に出すもんだから、それをまた、1本1本表に返すのは、たいへんな労働です。
洗濯前に汚れた靴下なるべく触りたくないので、
そのままの状態で洗濯機へ→脱水後に濡れた靴下の指10本分をひっくり返して干す。なんてストレスフル・・・。
それで、交渉の末、現在は親指だけセパレートしてる、足袋タイプの軍足です。
早い時だと2~3回履いただけで、穴があくこともあるらしく、ランニングコストかなり高っ。
夫、私にチクチク縫って修繕してもらえれば・・・と、ブツブツ言ったりもしてましたが。そんなこと、しませんよぉ。
お針仕事は大の苦手ですから。私には無理だってこと、まだわかんないかな。
夫は自分で繕うこともせず、穴のあいたまま、しばらく使って、穴がだんだん大きくなり、いよいよ親指の第一関節まで、コンニチワ~状態になってしまうと、諦めて捨てる。ということが続いてきました。
でも、日々、穴のあいた靴下を履いてる夫を見るのも、その靴下を洗濯するのも、なんだかな。ますます、みすぼらしい気分に陥ります。
それに、毎日必ず実家に行く夫。そうすれば靴を脱いで家に上がった時に、舅や姑に穴のあいた靴下がバレるわけで。
「あら~。はるさんは。こんな靴下、亭主に履かせて!」
って、私が悪者になってるかと思うと・・・。
靴下ごときで、鬼嫁・悪妻のイメージをさらに強化させてるなんて(-_-)
そこで、いいことを思つきました。
この方法は、次のようなメリットだらけ。
☆妻(私)は、夫の靴下の穴に気がついていないわけではない。
☆靴下の穴をなんとかしてあげたいという気持ちはある。
☆夫が楽しく一日を過ごしてくれれば、という妻としての思いやりもある。
☆靴下の穴を前向きにとらえ、それごと楽しむ心の余裕すらある。
という、豊かな人間性をアピールできる上、
☆朝、夫が靴下を選ぶ時、ひと目で“穴あき”だと気づくことができる。
☆よって、ひと様の前に出るような時には、恥をかくことを回避することが可能。
という、合理的な気配りもされている。
というわけで、現在、夫の靴下たちは、こんな感じです。
履いてみると、さらに表情がでてきます。
(※これは、私が履いた写真。夫は写真とられるの嫌いな人なので。)
(※夫が履いた状態だと、さらにふっくら感が出て、キュートです。)
とりあえずこの作戦で乗り切るつもり。(乗りきれてないか・・・。)
なんといっても、油性ペン1本で、ここまで修復できるんだから。
「はる・・・。これ、修繕にもなにもなってないだろ。」
「お願いだから、俺の靴下で遊ばないでくれ。」
「これじゃ、人前に出られないよ。」
ショボ~ンな夫。
夫には、この画期的な主婦の知恵、理解してもらえてません。
それでも、毎朝、この靴下たちを履いて仕事に向かってますよ(*^^)v
ここまで書いてみて、ふと、スマホで「靴下 穴 補修」で検索してみたら。
・・・恥ずかしくなりました。
すごくオシャレに、当て布したりして、カラフルに素敵に修繕してる奥様たちが、たくさんいらっしゃる!!
私ときたら、こんなにくだらんこと。ほんとに申し訳ありません<m(__)m>
情けなさ過ぎるけど、せっかく写真まで貼ってみたし、これでもいっかヽ(^o^)丿
続・“結婚できない女”が、なんで結婚できてしまったのか?
こんにちは。“はる”です。
↑ ↑ ↑
昨日書いてみたけれど。
なんでいまさら、こんな昔のこと思い返してしまってるかといえば、最近わりとよく目にする、『シニア向け婚活』関連のパーティとかイベントとか、そういうの。
今の自分がひとりになったら、どうなるんだろ・・・・。
と、常日頃、とてつもない不安感を抱えて生きているので、夫に万が一のことがあったなら、私はその後どうやって生きていくのか。ほんとに、お先真っ暗なんです。
自分の実家とは、ほぼ絶縁状態にあり、夫の義実家はご近所だけど、舅・姑だっていつどうなるか。それに、義実家との交流、とっても薄~いし。
今だって、こんなブログ書いてる場合じゃないってことはわかってる。
うん。家の外に出てパートのオバちゃんでもなんでも、自分でできることやらなきゃ!って、毎日思っているけれど、思っているだけで月日は流れ・・・。
過去を振り返ると、ほんとに行き当たりばったりに生きてきてたんですよね。
↑ 前の記事にも書いたように、若い頃の友人たちは、みんな、学生時代から先を見越して結婚のこととか考えてた。
何も考えてない私の周りで、みんな、きっちり婚活してたんですよね。
合コンとか、そういうの、私もたくさん誘われて行きました。
人数合わせか、安心・引き立て役として、便利な存在だったわけです。
「はるちゃんなら、ぜったい大丈夫。」
っていう確信が友人たちにはあった。
その通り。ぜったい大丈夫な人物でしたからね。
合コンだろうがなんだろうが、食べたいだけ食べて、飲みたいだけ飲む。
自己紹介とかするときも、普通の女の子は、「ホントのこと+α」で多少なりとも、盛って話すけど、私はだいたい超エエ加減なこと言って、場をシラケさせてました。
だって、知らない男性の前で、まともに自分を紹介できるような実のある人生歩んでませんでしたからね。
だから、私が誰かとカップル成立(古っ・・・)するなんてことは、100%ありえない、どこにでも安心して連れてける、いい女友達だったんです。
夫とは、とあるアウトドア系の趣味の集まりで知り合って、その仲間たちと複数でワイワイ飲みに行ったりする、ただそれだけの仲だったんです。
(あ、このときは、“おひとりさま” じゃぁなかったんだな・・・。)
ふたりだけで初めて食事に行ったのも、イイ感じ~な雰囲気になったからではなく。
ある時ちょっとしたトラブルがあって、そのお詫びに、夫が私に食事をごちそうするよ! って展開だったんですよね。それは確かです。
私、その時、「食べ物でごまかさんで、金で返せや~~っ!!」って、ご立腹状態だったの、よく覚えてますから。
その一度だけ食事に行って終わるはずの私たちが、まさか2年後に結婚しちゃうとは、誰も思わなかったですよ。私たち自身も。
夫の方にも、まるっきりその気はなかったのは明らかでした。
そのとき食事したお店、カジュアルだけどまぁまぁなレストランでしたけどね、最初の飲み物の注文の時、いきなり、「ビール、ピッチャーで。」って。
ドドーンとバケツみたいなビールのピッチャーが出てきましたから。
相変わらず、なんの遠慮も無く、よく食べよく飲み、ただそれだけだった。
なんで、そんな女と付き合おうと思ったの?って、夫にきけば、
「忘れたい過去。取り消せるものなら取り消したい。」と答えるだけ。
「それでもさ、女子力、ってのは無いけど、なにか他に魅力みたいなの、あったんじゃないの?」
と、食い下がってきいてみました。
「はるにあるのは、破壊力だけだろ。」
即答する夫。
ごもっともすぎて、それ以上返す言葉もございません。
なんで、結婚して、そして20年以上続いてるかって考えてみると、
『女子力なし、破壊力あり、のガサツな女』に対して、夫の持ち味は、誰にも負けない『鈍感力』。
私だけでなく息子も、夫の鈍感さには、イライラむかつくことが多いです。
でもね、あのくらい鈍感じゃなきゃ、こんなガサツな鬼嫁といっしょに居られないですね。
これべつに、ノロけてるわけではありませんから。
というわけで、なんで結婚できたのかは、本人同士も一生謎のまま。
この先、私がひとり身になることがあったとしても、やっぱり婚活はできないまま、“おひとりさま” “ぼっち” なオバアちゃんになっていくのだと、覚悟を決めるしかないですね。
~なんだかまとまりのないまま、とりあえず、おしまい。~
“結婚できない女”が、なんで結婚できてしてしまったのか?
こんにちは。“はる”です。
タイトルの“結婚できない女”。私のことです。
最近、改めて、思うことなんですね。
中学・高校までは、少しだけモテた時もありましたっけ。
でも、全くそういうの(恋愛とか)に興味はなく過ぎました。
大学生になると、周りがね、もう、みんなたいへんでした。
バブル時代真っ只中でしたから。
私の周りの女子たちは、どれだけ「アッシー」だの「メッシー」だの、そういう、相手がいるか、ってとこで格付けし合ってたり、
本命の相手ともなると、それはもう婚活レベルでした。
有名大学の彼氏じゃなきゃ、カッコつかないんだって、(口では言わないけど)目の色変えて、サークル活動とかイベントとか、がんばってましたよ。
その私の友人たちは、みんなそれぞれ一流企業に就職。
付き合ってた彼氏たちもそれぞれ一流企業に就職。
または、就職先の会社で有名大学出身のお相手を見つけて。
全員、見事に、メデタクご成婚まで到達しました。
そして、寿退職→専業主婦コースです。
この後まもなく、バブルははじけちゃったんですよね。
私はっていうと、大学時代、サークル活動に誘われて渋々参加したものの、その、なんとういうか、男女共に必死にお相手探す感満載の雰囲気が気持ち悪くて、すぐ脱会。
色気より食い気。ひとりで映画を観に行ったりするほうが楽しい4年間でした。
あぁ、“オヤジギャル”って言葉が流行語にもなりましたけど、そう、オヤジギャルでした、私。
まだ、“おひとりさま”、って言葉も無かったし、“ぼっち飯” も無い。
私は、“おひとりさま” で “ぼっち” がラクだったので、周りからはかなり浮いてたんだと思います。
就職は、通勤の満員電車に乗るのが嫌で、都心とは反対方面にある仕事を探していたのですが、ウチの両親がそれを絶対に認めず。
「イイ会社にいかなきゃ、イイ結婚相手にめぐりあえない。」とかいう、わけわらない理由で。
親がウルサイのがめんどくさくて、仕方なく、都心にある某一流企業に就職。
でも、上司のセクハラ、パワハラなんてアッタリ前の時代だったし、女性社員はそれが嫌でも男性に逆らうことなどできない風潮。
そしてやっぱり、社内でも、男女ともに出身大学だとかいろんなランク付けがあり、男性社員の多くは女性社員を、結婚相手にふさわしいかと値踏みするような、そんな感じ。
(もっちろん、私みたいのは、男性社員のお眼鏡にかなう器じゃございませんでしたが・・・(^^;))
もう、そういう社会に辟易したことと、親への反発もあり、ある時、アッサリ退職願を出して辞めちゃいました。
転職先も何も決めずに。勢いだけで、行き当たりばったりでした。
親はもちろん大激怒。しばらく口も利いてはくれませんでした。
そして、会社の元同僚や学生時代の友人たちは、みんな同じようなことを言いました。
「はるちゃん。会社やめちゃったら、結婚とかできないよ。この先どうするの?」
「私には会社やめるなんてできない。だって、〇〇会社勤務、っていう“印”がなきゃ、結婚できないよ。」
彼女たちから言わせると、もう私は、独身女子として、“いっかんの終わり”状態だったんですね。
ものすごーーく哀れみに満ちた目で、見られてました。私。
あ、みんな、そんなに結婚したいんだ。
結婚のことばっかり考えて生きてるんだ。
私って、もう、結婚できないんだ。
と思い知らされました。
その後しばらくは、アルバイトや契約社員で、ボチボチ仕事しましたが、それじゃぁ、やっぱり周りがうるさくて(特に親)、とある会社に正規雇用で再就職したわけです。
当時はまだ、フリーターっていう言葉もなかったし、独身で無職の女子には“家事手伝い”という古風な言い方もありましたけど、定職に就かないってことが、今よりももっと世間から白い目で見られるような時代だったのかもしれません。
まあ、とにかく体裁としては、再び、会社員っていうかOLっていうやつに納まりました。
が、色気より食い気、に変わりなく。オヤジギャルのまんま。
“女子力”っていうのはゼロでしたから。(ゼロ以下のマイナスかも・・・)
それに加えて、一度会社を辞めた後、アルバイト先やなんかでも、すったもんだ経験済みなもんだから、新しい職場では、上司でも同僚でも、間違ったことする奴には厳しい一言をかましてしまったりして、どう考えても、扱いにくい社員だったことには間違いありません。
無駄な正義感だけが空回りしてたような、未熟でおかしな自分でした。
そんな時期でも、3~4人くらいだったかな、交際を申し込まれたりとか、そういうアプローチをいただいたことがあったんですね。
もちろん、男性からですよ。無謀ですね・・・。
たぶん、私にそういう行動をとった彼らは、SかMかでいったら、絶対にMの人だと思います。
女性としての私に好意を抱いたというよりは、怖いもの見たさとか、そんなような興味の持ち方だったんじゃないかな、って想像しちゃいますね。そうとしか考えられないもん。
(あ、これって別に、私がSってわけじゃないです。Mでもないけど。どっちかはわかりません・・・)
そして、私は、どなたともお付き合いすることなく、オヤジ街道まっしぐら、でした。
夫は職場とは関係のないところで、出逢ったのですが。
なんでこの私たちが付き合うようになり、結婚することにまでなったのか。
今でも不思議ですね。おかしな組み合わせですもの。
付き合って1年後くらいには、結婚を決めてたんですが、
私の婚約を知った、大学時代の友人Tちゃんは、あからさまに、こう言いましたよ。
「はるちゃんが、まさか、結婚できるとは思わなかった~~!!」
って、ほんとうにビックリ仰天な表情してみせて。
あんたに言われたくないよ・・・"(-""-)"
ムカついたけど、Tちゃんは、友人の中でも一番の、バブル期ありがちなミーハー系女子で、私より一足早くご成婚の儀が決定していたこともあったので、ま、仕方ないかって、言いたい言葉を飲み込みました。
Tちゃんがそんなセリフを吐くのも無理のないことで、私の親たちだって、
「はるは、まったく男っ気がないからなぁ。」
「女はやっぱり、愛嬌ってものがないとね。」
やらなんやら、好き勝手言ってましたからね。
親戚中で、私がいちばん結婚とは縁遠い人物と目されてました。
だいたい、どいつもこいつも、勝手なもんですよ。
愛嬌がなんだっていうのよっ。
私はね、男っ気はないけど、男気ある性格なのよ。
と今の私だったら、どこまででも言い返せるのに、当時はまだそこまで強くはありませんでした。
あれ、なんかここまで書いて、わかんなくなってきた。
これじゃ、なんで結婚できてしまったのか?っていうタイトルに対して、結論までいきついてないじゃない。
ま、いっか。つづきは、また次にしよ。疲れちゃった。
~たぶん、つぎに続く~
犬の散歩が苦痛です
こんにちは。“はる”です。
わが家には、人間3人の他に、ワンコとニャンコが住んでおります。
運動嫌いな私にとって、毎日2回、朝と夕方の、
ワンコとのお散歩タイムは貴重な時間です。
これがなかったら、ほとんど家の中から出ませんから・・・。
田舎暮らしを決めた時、これからは自然いっぱいの環境の中で、
気持ちよくたくさんお散歩できるなぁ、と想像していましたが、
その淡い希望は、すぐに打ち砕かれました。
まず、道路のあちこちに、他のおうちのワンコたちの、
お忘れ物が落ちてます。
ほとんどの、飼い主さん、ワンコ用エチケット袋、持ち歩いてませんから。
よくてスコップだけ持っているかな。
はい。スコップだけで袋は無いので、ワンコが用を済ませたモノは、
道路の端っこ、または用水路脇に、エイッ!
とやって、おしまいです。
なので、油断していると、よそのワンコのアレを踏んでしまいます。
それが一つや二つじゃないので、散歩道、汚いです。
あと、もう一つ、お散歩中に疲れるのが、観光客に遭遇したとき。
休日ともなると、こんな何にもないところにも、
遊びにくる人たちって、結構いるんですよね。
泊りで遊びに来た人たちは、早朝のお散歩を楽しまれる人もちらほら。
そういう観光客の人って、たいてい妙にフレンドリーに話しかけてきてくれて。
そう、所さんの番組でやってた(今もやってるのかな?)
「第一村人発見!」みたいな気分なんでしょうか。
挨拶くらいはもちろん構わないのですが、
「あそこに見える山はなんていう山ですか?」
「そこの畑に植わってるの、なんの野菜ですか?」
など、質問してくるんですよ。ほぼ100%の確率で。
困るんです。
山の名前っていったって。わからない。どこ見渡しても山だらけで。
畑の作物。わかりません。葉っぱの状態じゃ。
せめて、実でもなってくれてたら、お答えできるかもしれないけれど、
でも、実ができてたら、観光客でもわかりますからね。
「すみません。わからなくて・・・。」
と、なんで謝らなくちゃいけないのか、モヤモヤしながら言いますと、
「あっ!この辺りの人じゃないんですね?」
って感じの会話になったりして。
一応、この辺りに住んでるけど、わからないんだよ・・・。
こんなことが、何度も起こるので、
なるべく誰も歩いていなさそうな時間を見計らって、出かけます。
それでも、運悪く観光客に遭遇してしまい、
同じような質問をされたなら、最近はもう、ひどいです。私。
「あーー!! 助さん、だめだよーーー!!」
(※助さん=うちのワンコ)
とか言って、
あたかも、急にワンコが走り出したかのような演技をして、走って逃げます。
(もちろん、リードはちゃんと繋いでもってます。)
誰が見ても、ワンコは走ってなくて、わざとらしいけど。
どうせもう、二度と会うことのない人たちだから、大丈夫。
と自分に言い聞かせて。
こんな自分、すごいちっちゃい人間だって、わかってます・・・。
情けないです。
これまでで、一番情けなかったのは、
お散歩中に私自身が道に迷い、家に帰る道がわからなくなった時。
そこへ車で通りかかった観光客に、
「〇〇川の近くにある△△荘って、どこですか?」
と聞かれたので、
「すみません。わかりません。」と謝ったあと、
私の方が、自宅に帰る道をナビで調べて教えてもらいました。
(当時、スマホ、持ってなかったです。)
私に出逢ってしまった、観光客のみなさん。ごめんなさい。