私のやめるスイッチは嘉門タツオ様と共に。
またもや、辞めちまいました。ブラックパート。早っ。
で、次、もう決めちゃいました。早っ早っ。
今年に入って約20年ぶりに社会復帰。
パート→パート→正社員→パート。
そして、次またパート。ですが、先方からは正社員で働かないかと言われてる。
いやー、どうでしょうかねぇ。こんなアタシだからサ。
こりゃアカン! と思ったら即「やめるスイッチ」ON!!
今回あっという間にやめたとこも、いくらなんでもそりゃ酷すぎるだろっ!ってことがまかり通ってて。
社員もパートもみんな愚痴言いながら、アホらしくて気絶しそうなほどの理不尽を我慢して飲み込むのが当たり前、ってのが基本姿勢。
アタシャァ、そんなもんに付き合っちゃらんねーんだよっ(-_-メ)
くっだらない我慢と引き換えに得られるスズメの涙ほどの賃金。そんなの要らない。
いや、今の暮らしじゃ、そんな金額でも欲しいけど・・・(T_T)
でもダメ。できないものはできない。
譲れないものはゼッテー譲れない。
20代の頃勤めてた企業は転職前も転職後もそれぞれけっこうイイお給料くれてたんだと思う。福利厚生もバッチリ。時代が時代だったってこともあるけど。
それでも「やめるスイッチ」入ったら関係ない。
あっさり蹴っちまった。そんなんだから、アタシの人生このありさま。
「仕事やめるスイッチ」が入りますと、私の頭ん中は次のような状態になります。
スイッチONの瞬間。
「チャラリ~~~ン!
鼻からぎゅうぅ~にゅぅ~~~っ!」
嘉門タツオ様の「鼻から牛乳」がファンファーレのごとく高らかに鳴り響く。
そして、「替え唄メドレー」へと続きます。
そこから先は勤務時間中ずーっと嘉門タツオ様の歌声がくじけそうな心を支えてくれるのです。
職場を去る最後の時が近づくと・・・。
フィナーレは、やっぱり「鼻から牛乳」。最後の繰り返しだんだん速くなるところ。
「ハッナからギューニューっ♪ ハッナからギューニューっ♪ ハッナからギュゥゥニュゥゥ~~~っ♪♪♪(チャン!!!)」
誤解のないよう書きますが、あくまでも頭の中で起きている現象であって、ちゃんと真面目に職務は遂行していますから!
そんなわけなので、私は「やめるスイッチ」ではなく「嘉門達夫スイッチ」と呼んでいます。(あえて改名前の「達夫」様で。)
嘉門達夫様、ほんとうにありがとうございます。
こうして今回も無事(かどうかはわかんないけど)ブラックな職場を捨てることができました。
私が初めて嘉門達夫の曲を手にしたのは、25年以上前。
最初に就職した企業で、隣の部署に所属するたいへん綺麗な先輩がカセットテープをくれて・・・。
懐かしい。カセットテープだよ。それをウォークマンで聴いてたっけ。
その美人な先輩はちゃーーーんと同僚のエリートとご結婚。寿退社されました。めでたしめでたし。
あれから30年近く経っても相変わらず冴えないアタシ。
次の職場ではどーなるんだろー。(←ヤル気まったくナシ。)
ハローワーク行ったり履歴書書いたり面接受けたり、もうこれ以上めんどくさっ。
それに、なんだか飽きちゃったよぉ。
(↑ こりゃダメそうだね。先行き暗い・・・。)
映画の後のひねくれババァ
気分転換にブログタイトルを変えてみました。
台風が来てます。
山ん中も風がすごい!
今日はパートが休みなので家の中に引きこもってます。
息子の夏休み最後に、ふたりで映画を観に行きました。
「アントマン&ワスプ」。
2015年公開「アントマン」の続編です。
前作を見た時、息子は絶賛不登校中。
当時を思い出し感慨深いものが・・・、なーんてことはなくって、今回も心の底から映画を楽しんでまいりました♪
出掛けたのは某大型ショッピングモール内の映画館。
はい、そうです。田舎者の味方、イオンモールでございます。
映画終了後、モール内をブラブラしていましたら、若いお兄さんに声をかけられました。
もちろんキャッチセールスです。
初めに笑顔でポケットティッシュを差し出して、
「おうちでウォーターサーバーって、もうお使いですか?」
いつもなら、やんわりとお断りポーズして無言スルーするのですが、お兄さんの「お願い!話だけでも聞いて!」と懇願しているような表情にちょっと負けてしまい、一瞬ですがそのウォーターサーバーの方に目を向けてしまいました。
早速、商品の説明に移ろうとするお兄さん。
あっ、いかんいかん! すぐにこの場を去らなければ。
で、私はつい言ってしまった。
「ごめんなさいね。ウチ、住んでるとこがスンゴーい山ん中で。」
「家の裏の湧き水汲んで生活してるから。(笑)」
なんでこんなこと言っちゃったんでしょうね~。
たぶんね、たぶん。映画の中のアノ登場人物の影響よ。
主人公スコット(アントマン)の親友ルイス。
ペラペラペラペラペーラペラ♪♪♪とお喋りする、愉快な仕事仲間。
アントマン作品の中で、私の一番好きなキャラです。
と、ルイスのせいにしてはいけません。
セールスのお兄さん。私の言葉を聞いてひとこと。
「たいへんな生活をされてるんですね・・・。」
と、哀れむように弱弱しく反応してくれました。
ごめんね、名も知らぬお兄さん。
山ン中に暮らしてるのは本当だけど、蛇口ひねって出てくる水道水を浄水器通して使ってます。
あぁ、どんどんヒネクレばばぁになってくような気がするんだよぅーーー。
誰か助けて!
毒舌はずっと昔から?…無職の言い訳です。
あっという間に終わった正社員生活。
あー、会社名とか全て実名で書いてしまいたい!! くらい酷い目に遭った。
そのレベルの低さに呆れてもいるわけで。…書けません。今は、書きません。
狭ーーーい世界の中でちっぽけな『権威』に服従することが最重要任務。
くだらない。くっだらなすぎるんだよぉ。
組織のトップとやらだって、その辺のただのゴーツクじじぃにしか見えんのだよ。
なんで、みんなあんなにヘイコラしてんのか。
自分らでカースト作り上げちゃってんじゃん。
ま、それもこれも、お給料いただくため。生活のため。
みんな必死に頑張ってるのもわかる。ワタシだってお給料、欲しいよーーーー!
周りから見たら「わがまま」「我慢が足りない」「あぁ、やっぱり長年ただの専業主婦だった人には勤まらないよねぇ。」ってとこですか。いやいや、もっとクソミソな言われ方してんだろうね。
しかーし、長年引きこもりの専業主婦やってたから、こうなったんじゃぁないんです。
子どもん時からこんな人間なんです。たぶん。
幼稚園くらいの時すでに、周りの大人たちのこと、どこか冷めた目で見てた気がする。
小学校。あの頃はコッワイ先生(体罰あり、という意味も含めて)、ふつーにゴロゴロいたよね。
他人様からはオットリしたおとなしい女の子に見られてて、バリバリ優等生というわけでもなく・・・。けど・・・。
おーっと。小学校時代のこと、これ以上書くと、今はまだ触れられない私の一番最悪な記憶をかすってしまいそうなので・・・。ちょっと置いとこ。
中学校の途中で転校した先が、古いドラマに出てきそうな不良クン・不良チャンが大勢いらっしゃるような学校。そんな環境だったせいで転入してから卒業まで成績が常に学年トップというエセ優等生になってしまった私。
転校生ってだけでも風当たり強いのに、偽でも「成績優秀」となれば、特に女子からはイジメられんのトーゼン。
トイレの個室に閉じ込められて・・・とか、下校途中に公園に引っ張ってかれてヤキ入れられそうになったり、とか。そうそう、息子の中学校で「いじめをなくそう!」をテーマに道徳の授業で上映されたダッサイVTRの中に出てくるようなシーンが日常的にあったんだよぉ。
かなりヤバイ状況でしたが、そんなことはどーでもいい範疇でした。小学生の時に被ってしまった最悪なことがあったから。このくらいどーってことないよ、って自分に言い聞かせてたんでしょうね。もっちろん親に訴えたってこれっぽちも助けてはくれない。
そんな中学3年生の時。
担任は、今の私くらいの歳。ベテラン教員。ふんぞりかえったイヤーなオッサン。
「転校してきた〇〇さん(←私)が毎回テストで一番いい点を取ってるのに、キミたちは何をやってるんだっ!」
なんて、火に油を注ぐようなこと毎度毎度クラス生徒に言っちゃう、頭も性格も悪すぎるセンセイ。
有名予備校系の模試でたまたま全国で〇位になったこともあって、アホ担任の期待は高まる高まる。
でもさ、自分の実力は自分がよ~くわかってたから、第一志望合格は難しいだろうと思ってた。
第一志望不合格とわかった翌日。朝のホームルームでアホ担任。
私の席に歩み寄ってきて、いかにも悲しそーーーな表情して言いました。
「〇〇。(←私)残念だったなぁーーー。お前なら絶対に合格できると信じてたのにーーー。いやーーーーーーー、ほんとに残念だーーー。気を落とさずに公立の試験日までがんばれ...。」
はい。この時がデビュー♪
人前で初めて私の中の男侍が思いっきり刀を振り下ろした。
はーーーー?! 何を言っとる!!
知ってるんだよ。誰よりも合格を切望してたのはオマエ(担任)だろっ!親よりも本人よりも。
ずっと荒れた地域で教員生活してきたこの担任。自分のクラスから有名私立合格者が出たら、それはそれは鼻タッカダッカ~~なんだろうよ!
その突き出た腹をより一層突き出して、鼻の穴ふくらまして自分の手柄みたいにしたいだけじゃろがっ!
しつこく大袈裟に語りかけてくるアホ担任を下から睨みつけました。
廊下まで聞こえるくらい大きな声で言いました。
「私はまったく残念ではありません! 自分の実力からして当然の結果と思っています。」
「残念がってるのは、自分の生徒が有名な高校に合格できなかった、〇〇先生ですよね。」
「私は、〇〇先生のために勉強しているわけではありませんから!!!」
静まり返る教室。
湯気が見えるほど顔を真っ赤にして怒りに震えてるアホ担任の顔。
「お、お、お前とゆう生徒は! 先生に向かってそういうことを言っていいのかーーーっ!!」
怒鳴り散らかし、更なる醜態を晒すオッサン。
だーかーらー、アホだっちゅうねんっ!
べっつに、あんたがどんだけ怒ったって、こわくなんかないよーーーだ。
心の中でアッカンベーしてはいたけど、さすがにまだ15歳です。
それなりに少しはドキドキしてました。
その日の放課後。イジメのリーダーだった不良チャンが私のところにきてね。
「今までごめん。あんた根性あるんじゃん。見直した。」
はーぁ。タバコの火押し付けようとしたり、あんなことこんなこと許せんし、謝られてもねぇ。
てゆうか、ベタな不良チャンに見直される私って???
これに味を占めたというわけではありませんが、その後の人生も私の真ん中に居座るムダな正義感が、どんだけ行く手を阻んだことか...。
波乱に満ちた、というよりか、波おだやかな時でも嵐を巻き起こしてしまう。
直んないだよねぇ。
えーーーっと。昔ばなしを引き合いに出してみたりしましたけど...。
就職先がブラックで、続けらんなくて、一瞬にして無職に戻っちゃった、あー、ビンボービンボー!!
ってことに関しまして、言い訳にも何にもなんないですよね。
ハハハ...。でも、やっぱ反省も後悔もしてないんだよなぁ。へへっ。
ダメ母の毒舌 vs. ガッコウ(つづき)
息子が不登校になった中学校は「水筒禁止」だった。
水筒持参を認めるよう何度もガッコウとの交渉を続け、水筒禁止→水筒持参OKに至るまでのほんの一部を前回書いてみましたが。
他にも思い出したよ。あのアホ校長が吐いたアホなこと。
「水道の蛇口から水を飲むのが中学生のあるべき姿」
って意味不明なのは前回も書いたかっ。それ以外にも、
「水筒なんて持たせたら、授業中にガブガブ飲んだりして、そんな姿は生徒としてあるまじき行為」
とか。バカだね。アホだね。
で、挙句の果て、
「もし具合が悪くなったら、経口補水液を保健室に常備しておりますから。」
・・・だってさ。胸を張って、誇らしげに上から目線で。エラそうに。
「具合悪くなってからじゃ、遅いんです!」
「脱水症状はじまって具合悪い人が、自分で保健室に行って『経口補水液ください』って言えませんからーーーーーー!!」
開いた口が塞がらなかったけど、塞がらないついでにキツめの口調でダメ出ししましたよ。
アホコーチョーは熱中症の恐ろしさについても、なにひとつわかっちゃいないんだから。毎日なにを考えて生きてるんだろ。あ、自分のこと以外なんにも考えてないんだよね。あの手のニンゲンは。自己保身には熱心だから。
そういうわけで、ガッコウへの毒舌、第2位の発表~♪
(どういゆう順位付けしてんのかは、やっぱし自分でもわかんないけど)
第2位!
「センセイたちはサルですか?」
先にお断りしておきますが、これは、なんというか、パクリというかコピペというか、受け売りというか。そういう内容です。スミセン。
不登校の最初の頃、息子は自室に閉じ籠り、半ば引きこもり状態でした。
家に居るのはいい。動けない時もある。布団かぶってうずくまっていたい時も。
でも、親として一番心配なのは子どもの健康状態。
いつも笑顔で朗らかに誰にでも元気に挨拶していた息子が、笑わないどころか常に苦しそうで暗ーーい表情なんだから。
黙ってなんからんねーーー!でした。
学校で散々な目に遭ってしまい、負わなくてもいい傷を負い。
もちろん、それだけが原因ではないのもわかってる。親の私たちにだって悪いところはたくさんある。
ガッコウのセンセイなんて、所詮、アカの他人。
けどサ、仕事とはいえ、毎日自分の元に通ってきている生徒のひとりが、どんだけ辛い思いをひとりぼっちで抱えて苦しんでるか、って微塵もわかんない、わかろうとしないってのは人間じゃないだろっ!って憤ってた当時の私。
そんなある日の朝刊に、どこかの大学教授だか研究者だか(忘れたけど)の記事が載っていて。その中で「サルと人間の違いは、自分の子ども以外の子どもにも愛情をかけることができるかどうか。」っていうようなことが書かれてた。と思う。(←数年前のことなので、正確性に欠けてます<m(__)m>。)
ちょうど、その日の午後、学校の会議室で面談をお願いしていて、校長はじめ教頭、学年主任、担任その他関係者全員集まってもらうことなってたんです。
ずらりと並んだ、にっくきガッコウのセンセイたちの顔、顔、顔。
何を話すか、私は毎回必ず文書にまとめて、学校側に渡すコピーも持参していたのですが、準備していた初めの言葉の前に口から出たのが「先生たちはサルですか?」でした(;・∀・)
で、新聞記事の一部を引用しながら、ぶん殴ってやりたいくらいのセンセイたちに、偉そうに説教をかましました。はい、このダメ母な私が。自分はサルどころか猛獣系なのにね。
もう喋り出したら止まらない。
「私たち親も先生方も、あと10年、20年もすれば人生の終盤に向かう年齢です。」
「現在13歳の息子はこれから先、10年後20年後、活き活きと社会で生きていかなきゃいけないんです。長い人生の中で、1年2年学校に行けなくたってどうにかなる、という考えもあるでしょう。でも今の息子にとって学校に行けず狭い家の中にいる1日、1時間、1分、1秒が、辛くて長くて苦しくて。「死にたい」と言葉にしていたって、死にたくなんかないんです。生きたいんですよ。みんなと同じように学校に行けない今の自分をものすごく責めて苦しんでるんです。」
「理解してくれとは言いません。わかってもらえるとも思ってません。それでもせめて、息子に以前の笑顔だけでも戻ってくるよう、どうか協力していただくことはできませんか。私たち親の力だけでは限界があります。」
というようなことを話しました。
何をしたらよいのか、何ができるのか、何をもって解決なのか、私自身にもわからなかったんですけどね。多分。
この「サルですか?」以降、少しずつ学校側に「聞く耳」ができてきました。
そして、それから何回目かの面談の時。
記念すべき第1位~!
(これが1位なのかどうか疑問は残るが。)
「エスパーじゃありません。」
あのアホ校長。結局最後の最後までアホではありましたが、アホなりに、学校として協力してくれる姿勢を示してくれるように変わってきてはくれました。
以下、春の日差しがまぶしい会議室にて。
アホ校長「えぇ・・・、わたくしどもぉ、おー、・・・学校といたしましても、きちんと〇〇君のことを考え、ちゃんとした対応をしていきたいと考えておりまして。えぇ・・・。」
はいっ。アウトーーーー! すかさずダメ母のツッコミ入ります!
「校長先生。申し訳ありませんが、『きちんと』とか『ちゃんと』とかではなく、具体的な内容をお伺いしたいのですが。お教えいただけませんか?」
アホ校長「えぇ・・・。ですからぁ、あぁ・・・わたくしどもは、ちゃんとですねぇ、生徒のことをきちんと考えて・・・。」
「校長先生。『ちゃんと』とか『きちんと』の内容を教えてください。」
アホ校長「だからですね、えー、わたしたちもちゃんと頭の中では考えておりましてぇ・・・」
・・・(ー_ー)!!・・・
「私はエスパーではありませんから!」
「先生たちの頭の中のことや、先生たちの『きちんと』や『ちゃんと』の中身がなんなのか、ということは全く見えないし伝わってきません!」
アホ校長「・・・・・・・」(ずーーーっと、沈黙)
いじめてませんよ! 学校が嫌いだからって、意地悪で言ったんじゃないんです。
ほんとです! なんか、こう、心の叫びを言葉にしてしまったんです!
ガッコウから帰る道すがら、夫が言いましたサ。
「ハル・・・。いつもさ、よく次から次に言葉が出てくるよね。どうしたら、あの雰囲気のあの部屋で『エスパー』とか『サル』とか使ってペラペラしゃべれるんだぁ。隣に居る俺の身にもなってくれ。どんな顏して座ってればいいんだよ・・・。」
「あなたがどんな顏で座っていようと関係ない。あなたの顔よりムスコの笑顔が大事。」
「それ以上、今の私に何か言ったら、血ぃ見るよ!」
少しの間だけ夫は黙っていてくれました。
心配しないでください。モンペではありませんから大丈夫(^_-)-☆
(↑ なにがダイジョウブなんだよぉ~。)
ダメ母の毒舌 vs. ガッコウ
昨日Twitterにて学校絡みのことをツイってみましたら、たいへん丁寧で貴重なリプを頂戴いたしました。
あぁ、そうなんだよなぁ、と改めて考えてしまうと同時に、数年前、私が『不登校生の親』だった頃に繰り広げたあんなことこんなことが蘇ってまいりました。
中1の2学期頃から学校行きたくないモード(登校拒否ってやつですか)に入り、3学期からパッタリ(というより、バッタリしちゃって)行かなくなった(行けなくなった)息子くん。
中1の担任はそれはそれは酷かった。
いやいや、担任だけでなく、副担任もひどけりゃ、校長はじめ全教職員が「どーかしてるぜっ!!」な状態。
入学当初からいろんなことが積み重なったのですが、詳しくは書けませんのよね。
身バレしちゃうのはマズイですから。ご了承くださいませ。
「そりゃないでしょっ!!」ってことが次から次に起きたわけですが、
一番酷いのはザックリ言えば人権侵害レベルだった。マジこれ、ほんとに。
不登校の子どもへの親の対応として「登校刺激をしてはいけない。」というようなことがあるのも知ってます。(←ネットで調べたんだけど。)
知ってるけど、思春期で反抗期で、そんでもって不登校で、そんなんで毎日ずっと狭い家ん中で一緒に居れば、登校刺激云々の前に、毎日いろんな意味で刺激的すぎるんだす。(思わず訛っちゃう。)
えぇえぇ、だから家出もしましたサ。(私が。)
そんな私ですから、泣き寝入りなんかしてらんねーーーっ!
相手がどんなアホどもだろうがクソどもだろうが、言わせてもらいましたよ。
1回や2回じゃなく。もうずっと言い続けたよ。
「あんたら間違ってる。」ってことを。
こんなワタシを「バカな親」と思われる方も多いことでしょう。
モンスターペアレントだ!と叩かれるかもしれません。
でも、言っちゃったんだもん。やっちゃったんだもん。
1ミリも後悔も反省もしてないもん。(開き直り~。)
あれ?何を書こうとしてたんだっけ?
あ、昨日のTwitterで蘇ったこと。そうそう、それだ。
ひとつ思い出すと芋づる式に3年間の全てがジャンジャン出てきちゃいますが、3つに絞って書いてみましょう。
第3位!(なんで順位つけてんのか自分でもわかんない。)
別室登校&水筒禁止の件
中2になって、別室登校を認めさせちゃいました。(それまでその学校では、別室登校というのが存在しなかったため、無理矢理 丁重にお願いして“別室”を用意してもらいやんした。)
しかし、それが風通しの悪い部屋で、初夏のある日、給食後に迎えに行くとすでにグッタリしている息子。
この中学校、なんと水筒禁止でさ。(あとで知ったけど、水筒禁止の学校ってけっこう他にもあるんだよね。信じらんない。)
水道まで行って水飲め、と言われたって、なかなかタイムリーに飲みには行けない状況だったりするわけで。
水筒持参をお願いしても、「わが校では水道水で対応してます。」とか、偉そうに言うわけさ。校長が。エラそうに言うなら、もうちょっとマシなこと言ってみろ。
そのくせ、自分たち(教員たち)はコーヒー飲んだりお茶飲んだり、タバコ吸ったり、好きにやってんじゃん。おかしーだろ。
しかも、校内の廊下には、「熱中症対策に水分補給は大事だよ♪」的なキャッチコピー入りで清涼飲料水のポスターが貼ってある。
完全にオカシーだろーーーー!!
で、お得意の面談を申し込みましたよ。そう。もうね、なにかあったら、キッチリ面談さ。
校長、教頭には必ず参加してもらえるよう、事前に念入りにお願いしておくのよん。
担任だけじゃ話にならないから。
けどね、先生たちに対して文句や苦情を訴えるんじゃぁダメなんだよね。
熱中症対策を中心として、現時点での学校における問題点等を事前に文書にまとめとくの。個人的感情は一切入れず客観的な意見として。ココ大事。
「ウチの子が困るんです。」だけじゃ、話は前に進まないから。
他の生徒にとっても、指導する先生方にとっても、なんだかイイんじゃない?って感じな、学校全体にとって良い方法とか対策とかってのをいくつか提案したりして。
とは言っても、頭カッチカチ系のセンセイたちにすんなり受け入れてはもらえません。
できれば脇を固めておきたいもの。保健室の先生を味方につけるとか。
水筒の件、校長は絶対に認めなかった。ガンとして「水道の蛇口から水を飲む」のが中学生のあるべき姿、なんだとか。
なんじゃ、それ? そんなあるべき姿、知らんがなーー!
だから、こう聞いてみた。
「水筒禁止というのは、開校以来ずっとですか? それとも、何か理由があって水筒禁止というルールができたのですか?」
アホ校長「・・・さぁ・・・。」
「(さぁ、じゃなくってさ!)水筒禁止の理由をお伺いしたいのですが?」
アホ校長「えー、・・・わが校では、水筒禁止というのが伝統的にぃ・・・。」
「水筒禁止は伝統文化なのですか?」
アホ校長「えーー、・・・・。それは、そのぉ・・・。」
「それとも、何かあったのですか?たとえば、水筒の紐もって振り回して、だれかのアタマとかにブチ当たって、大流血の大ケガさせてしまった!とか。」
アホ校長「・・・いえー。そのようなことは、聞いておりませんがぁ・・・。」
・・・アホだね。文字にしてみると、より一層増すね、アホっぷりが。
このやりとりを同じ部屋で他の先生たちも聞いてるわけですよ。
それから数日後、保健室の先生から連絡がありました。
「夏の暑い時期が終わるまでの期間限定で、水筒持参を許可することに決まりました。今日そのお知らせを全校生徒に配布します。ありがとうございました。」
よかった。よかったよ。
そして結局その後、期間限定ではなくて、その学校から水筒禁止は消滅したのでした。
あーーーーーっ! 第2位と第1位もあるのにぃ!
長くなっちゃったから、今日はここまで。おしまい!
あんまり毒舌じゃなかったね。
毒舌を期待して読んでくださった方(もし、そんな方がいましたら)
ごめんなさい<m(__)m>。
家出と映画と不登校(ダメ母の懺悔)
昨日は久しぶりに映画を観てまいりました。
『ワンダー君は太陽』。
自分の子育て、というよりも、家族のいろんなことに重なるところも多く。
涙腺崩壊して帰ってきました。
田舎(ココ)に移住してから息子の中学校卒業までの3年間、ふたりで映画を観に行くことが多かった。
行くのはたいてい平日だったから、映画館も映画館が入っているショッピングモールもそれほど混雑していることはなく、そういう意味では快適だったな。
映画は楽しめたし息子との会話もいつも以上にはずんだけど、やっぱりどこか複雑で悶々とした気持ちがつきまとう。
「あ~あ、今頃 “ふつうの中学生” は、学校で4時間目の授業中だろうな。」とか、そういうしみったれた思いが、ね。
一般的に、かどうかはわかんないけど、親は不登校の子どもに「学校に行ってほしい。」という思いを押し付けちゃいけないとか、感じさせちゃいけないとか、そういうの、ありますよね。
出来の悪い私はガマンせずに言っちゃってたよ。その場で、息子に。
「あのね、これはアッタリ前のことじゃぁないんだからね。」
「平日のこの時間。学生は学校で活動してるし、大人だって多くの人は、会社やお店で仕事してるの。」
ってゆうようなことを。
私の毎度のお説教に対して、当の本人は、
「わかってるよ。そんなこと。うるさいなぁ。」
とかなんとか、シレっとしてましたなぁ。
息子が不登校になって半年以上経ったある日、ダメな私はついに家出をしてしまいました。
あ、ちょっと違う。これが初めてじゃなかった。その前にも1泊2日のをやってた。あ、いや・・・。余罪はまだまだあるかも。
知らない土地で、知人も友人も話相手も一人もいない中、孤軍奮闘、いろんなことに対応し、自分だけが苦しくって満身創痍で闘っているってゆう、どん底な気分にどっぷり浸ってて、毎日毎日「もう限界。もう無理。」と夫のケータイに愚痴だらけのメールを送ったりしてたっけ。
家出をしたのは、この日に決行しようとか、なにか準備があったわけでもなく、ある日の午後、ちょっとしたきっかけでキエェーーーーイッ!!と家を飛び出したのです。
着の身着のまま。それはそれはヒッデー恰好で。
とはいったって、こーんな山ん中です。徒歩での家出が成立しません。家出人で捜索願いが出される前に、遭難者として捜索隊が出動してしまうでしょう。
だから、着ているものはヨレヨレの部屋着、足元は左右それぞれちがうスリッパ。でも、車のカギとお財布(免許証入り)の入ったバッグだけは条件反射的に握りしめていたのでした。
家出していた数日間、どこでどう過ごしていたのかは誰も知りません。
夫からはスマホに何度も連絡が来ましたし、私だって息子だけでなく置いてきてしまった助さんとマルのことがとても心配でしたから、最低限の連絡はしました。
特に助さんとマルの食事関係のことは念入りに。
気になる息子の様子。私の居ない間、食事の支度、洗濯、お風呂の掃除、私より上手にやってくれていたようで、お恥ずかしいかぎりです。
そうです。甘ったれでダメダメな母親です。
子どもとワンコ&ニャンコを放って家を出ちゃうなんてこと、やっちゃだめです。
そんなことができたのも、夫が会社勤めではなく時間の融通のきく生活をしているから。収入はメチャクチャ少ないけど、夫がそういう生活を選んだから、アホな私があんなことできたんです。
夫が家に居てくれてなければ、いくらハチャメチャな私でも子どもたちを置いて家を空けることはできません。たぶん。
家出生活数日目の朝、息子宛にメールした私。
その日は息子と映画を観に行く約束をしていたのです。たしか金曜日でした。
「映画一緒に観に行くって約束してたのに、ごめんなさい。」
そんな身勝手な内容だったと思います。
そしたら息子から電話が。
「ほんとは帰ってきたいんでしょ?」
「帰ってきたいなら、帰ってきていいんだよ。」
はい…。電話口で大号泣。
情けない母親は泣きじゃくりながら我が子に言いました。
「でも、こんな酷いことしちゃって、帰れないよぉ・・・。」
ホントにこれが40代後半の母親かっ。
「じゃ、オレが迎えに行って一緒に家まで帰ろうか?どこに居るの?」
はぁ。公共交通機関も無いような山の家で過ごす中学生にこんなことを言わせてしまいましたよ。
で、どうなったかといいますと。
最寄りの駅まで夫が息子を送り → そこから電車で約1時間の駅で私は息子と再会 → そのまま約束の映画へ → 食事と買い物 → そして二人で自宅へ帰る
ごめんなさい。ほんとうにごめんなさい。
母の家出騒動から3週間後。
息子はなんとなく学校へ行き始めました。
こんな母親の傍にいたら、マジでヤバイぜ、とかって感じたのでしょうか。
いえいえ、私のとった行動を正当化するつもりはありません。
良い子も悪い子もぜったいにマネしないでくださいね。
そしてあれから3年。
もう息子と映画を観に行くこともなくなりました。
こんな母より、気の合う友だちと出掛けるほうが楽しいに決まってる。
ひとりで映画館行くこともあるようだしね。
たとえゆっくりだとしても、子どもってゆうのは、その子なりのスピードで成長していくんだな。
私はもう半世紀も生きてきてるというのに、相変わらずこのザマだよ。
ほんとうに申し訳ない気持ちでいっぱいでございます。
明日からまたがんばろっと。
ド田舎BBA。まさかの正社員に。
眠いです。疲れてます。でも、わりと元気です。
実はこのワタシが。こんなワタシが。正社員として働きはじめちゃってます!(^^ゞ!
グータラで、三度のメシより、昼寝&昼からビールが大大大好きなワタシが。
長らく専業主婦として生きてはきたけど、家事全般めちゃくちゃ苦手で嫌いで。
できることならずっとずっとニャンコとまったり家の中に籠っていたいワタシが。
夫の少ない稼ぎだけを頼りに食い繋いできた情けないワタシが。
あまりの生活苦に一念発起してパートの仕事を探し始めて約1年半。
面接すること5回。内、3つはインチキ商売すぎて「アタシには無理よ!」と、採用いただくも辞退。→ ブラックなパートを2つ。ブラックすぎて早々に男侍魂炸裂!→即効退職。
→ 腹を決めてキッチリ働いてやるぞ! と、ハローワークに登録するも、バイト探しに来ていた夫と遭遇してしまうという悲劇に見舞われ・・・。
聞くも涙語るも涙のアラフィフ田舎ババァの就職活動でございました。
そ・し・て、ハローワークから紹介状をいただいた2社に応募。
一つはフルタイムのパート。一つは無謀にも正社員。
いずれも書類審査を通り面接へ。
自分としては決まるとしてもパートの方だと思っていましたが、正社員で応募した会社の方から先に採用の通知をいただくという、まさかの展開に。
地域柄、パートでも正社員でも事務系の募集はとっても少なくて。
フルタイムで多いのは、工場でのライン作業など作業系とか宿泊施設などのサービス業系。
前述のパートは5つとも、お店の店員さん、販売職系でした。
やっぱり立ち仕事というのは、身体的にシンドイな~、と実感。
ハローワークの検索で条件にヒットしたのが2つあったので、とにかく応募してみたんです。
年齢が年齢だから、どっちもダメだろうと思ってた。
なのに、採用してもらっちゃたよ。正社員に。
・・・ど、どうしようぅ・・(@_@)!
だって、自分で自分が心配なんだよぉ。
若い頃、それなりにそれなりの企業とかで働いたことはある。
でも、2度転職してて。
もちろん履歴書にはちゃんとホントのこと書いてます。職歴詐称なんかしてません!
でも「一身上の都合にて退社」の、その「一身上の都合」ってのがねぇ。
面接に行けば必ず面接官に訊ねられます。2度の転職の理由を。
そりゃぁそうよ。大卒で就職するも、10年足らずの間に2度も会社を辞めてるんだから。要注意人物と疑われてもしかたがありません。(ま、ホントに危険人物だなんだけどね。)
転職理由については、虚偽にはならない程度にまろやかに薄めに薄めて説明してます。
実際「クビ」になったわけじゃなく、自分の意思で自己都合で退社してるし、最終的な形としては円満退社ではあるし。
2度とも、いや、3つ目の職場でも、かなり激しくやっちまってるんですわ。
男侍を。エイっ!ヤァーーー!! と、発動させちまってます。
当時はさ、セクハラとかパワハラとか、そういう言葉すら存在しなかった。
ってゆうか、そんなの当たり前にどこでもあったんじゃないの?って思う。今の時代でもそうなのかな、もしかして。
“MeToo”運動というのもありますものね。
ワタシはいつも、 “Yuo too!” お前もか!(英語的に合ってるかな…)って叫んでた。
周りにウヨウヨいたもんね。それでも女性はみんな黙って我慢してたよ。
女性だけじゃなくて、男性でも上司とかからイヤがらせされたりね。
ワタシはそうゆうの、自分が被害に遭うこともあったけど近くで見るのも嫌だった。黙ってらんなかったんだよなぁ。
けど、闘い方も知らない未熟者だったから、ハラスメントに果敢に立ち向かい、上司や役員のオッサン達にもキッパリ物申して歯向かってみたものの、結局は、そんな職場に居ること自体に嫌気がさして自分からトットと辞めちまう。そんなようなことを繰り返していた感じです。
親兄弟、親戚、友人たち、みんながそんなワタシを愚かな人間だと笑ってた。と思う。
今の職場では、部長クラスの人達とたいして変わらない年齢のワタシ。
一緒に仕事するメンバーはほぼ全て年下です。
こんな怖い見た目のオバサン。「なんじゃ?この新入社員は?」と周りの方が戸惑っているかもしれません。
ですがハラスメントというものは、こっちがババァだろうが何だろうが、そんなことはおかまいなし、ってのも現実。
んーーーーむ。
ワタシの中の男侍。
アンインストールすることはできないけど、万が一この厄介な男侍アプリが起動しちゃったとしても、
「ゴリャァーーっ!おのれぇー、ナニやっとんじゃぁーーー!!」
が大音量で発せられることのないよう、ミュート機能だけは有効にしておかなくては、と、毎朝出勤時に確認を怠らないよう努力します!(;^ω^)v~
この仕事、いつまで続くか・・・・。乞うご期待!
(だれも期待してないか・・・^^;。)
あ、そうそう。このブログ。2年目に突入してました。
しかも、これがちょうど100記事目!
細々とですが続いちゃってます。
こんな感じのくっだらないオバチャンの戯言を読んでくださる皆様方。
本当にどうもありがとうございます~\(*´▽`*)/